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【スタジアム】居心地の良いスタジアムの実現は強化の一環

 

神戸や川崎Fなどの動きを見るにつけ、Jリーグは間違いなく「総合力」の戦いとなる。

広島の2012年からの3度の優勝は、2006年のミハイロ・ペトロヴィッチ招請から始まったと思われているが、実はそうではない。20世紀終盤、森崎和幸・森崎浩司・駒野友一という希有な存在が広島ユースで育っているという現実からスタートし、彼らを中心とした10年後のクラブの姿を織田秀和という実質的なゼネラルマネジャーが理想として掲げ、J屈指のスカウトとして既に定評のあった足立修を広島に招請して事実上の相談役として据え、選手発掘を主眼とするスカウト体制をつくりあげたことが、大きかった。

当時はまだ、中学生に対する「スカウト」という発想かJクラブになかった状況下で、高萩洋次郎や前田俊介、柏木陽介といった他地域の有望な若者たちを次々と広島ユースに誘う。一方で青山敏弘のような高体連育ちの才能も早くから目を付けて獲得(実際、高校3年生の青山に対して正式にオファーしたクラブは、広島だけだったと聞く)。全てがうまくいったというわけではないが、彼ら若いタレントたちが存在しなければ、ミハイロ・ペトロヴィッチの「革命」もなかった。

2008年、42試合で勝点100・得点99という圧倒的な力を見せ付けてJ2を滑走、2009年には当時のクラブ史上最高位(1シーズン制)の4位を勝ち取り、ACLの出場資格をゲット。2010年はナビスコカップファイナリストに上り詰めるという成功は、ペトロヴィッチの戦術的な改革とそれに応えうるタレントたちの躍動なくして考えられない。2009・2010年と続いた森崎兄弟の長期離脱でも何とか耐えられたのは、彼らを中心に大きな花を咲かせようと獲得していた若い才能たちの飛躍があればこそ、だ。2012年の優勝メンバーで、広島ユース出身者はカズ・浩司・高萩・森脇良太の4人。ユース出身以外での生え抜きは、青山と清水航平。広島で才能を開花されたと言える佐藤寿人や千葉和彦という存在もあり、そこにミキッチや水本裕貴、西川周作といった大立者たちも加わった。見事としか言いようのないチームの構成力。そこにペトロヴィッチの遺産を受け継ぎ、力を増幅させた森保一というチームレジェンドの存在。予算が限られている広島というクラブにとって、育成と補強がはまりあった理想的といっていい栄光の勝ち取り方だった。

こういう形の優勝の仕方は、Jリーグでは過去にも現在にも、類を見ない。そしてこれからもおそらく、出現しないスタイルだろう。予算でいえばJ1で中位の下あたりに位置するクラブが、育成と補強戦略、そして戦術の優位性でタイトルをつかむ。こんな奇跡は、もう、ありえない。

だが、だからといって、広島に優勝のチャンスが未来永劫、なくなったわけではない。いやむしろ、大きな可能性が秘められていると言っていいだろう。

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