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【無料】SIGMACLUB3月号/渡大生インタビュー

 

プロとしての軌跡

 

 タイキャンプは去年もキツかった。初日、脱水症状になりましたから。まあ、海外でのキャンプは初めてだったということもあるし、サンフレッチェ広島というチームに加入したことで、様々な感情もあったので、心に余裕もなかったんです。

 記者会見の時も言ったけれど、「広島に戻ってきたい」なんてことは全く関係なかった。自分が生まれたところにサンフレッチェ広島というクラブがあるのは誇らしい。でも、矛盾するようだけど、そんなに思い入れがあったわけでもないから。それでも広島を選択したのは、Jリーグで優勝したかったから。広島ならいけると、直感的に感じたから。

 俺がプロになって最初の頃は「広島はいいサッカーをしているな。広島のサッカーをやってみたいな」と確かに思った。でも、そういう気持ちが薄れていった中、今、ここに俺がいる。

 ただ、開幕戦の時にピッチから見たビッグアーチ、いや、エディオンスタジアム広島は、衝撃的だった。前日練習の時に初めて中からスタジアムを見て、すげえって思った。小さな時の頃の映像が、一気にフラッシュバックしてくるというか。Jリーグを見はじめた高校生の時、初優勝をテレビで1人で見て、すげぇと思っていた。その中でもやっぱり(佐藤)寿人さんの存在が、大きかったですね。同じメーカーのスパイクも履かせてもらっていたし。

 ただ、俺がプロになって活躍するなんて、思ってもいなかったから。中学生の頃は親が美容師だったこともあり、同じ道に進みたいと思っていた。中学生の頃に入っていたクラブも自分が2期生と新しいクラブだったこともあり、正直、なんとなくやっていただけ。プロになるイメージなんて全くなかったし、サッカーも見ていなかった。サッカーに対する熱量は他の人よりも小さかったと思う。ただ広島皆実に進んで、選手権に出たかったという気持ちはあった。だから、高校時代は努力した。Jリーグに行きたいと思っていたヤツと同じくらいのことはやっていた。でも、プロになれるなんて、全く思っていなかった。

 高校3年の時はもう大学進学も決まっていたし、将来は普通の会社に就職して営業をやるんだって思っていた。自分は全国の舞台で活躍できたわけではなく、有名でもない。大学でサッカーは適当にやって、いい会社で働きたい。それが一番いいって思っていた。でも、なれないって思っていたプロに、いろんなことが重なってなれた。ただ、入ったのは北九州という小さなクラブで、年俸も少ない。そういう環境で育ったから、ハングリー精神をすごく培うことができた。

 特に1年目の監督が三浦泰年さんだったことは、自分の中では大きな出会いだった。あの人には、プロとしての覚悟を教わりましたね。1年目で何もわからない時、あの人の言う言葉が絶対だった。「明日、プロでいられる保証なんて、ないんだぞ」とよく言われていた。そういう意識も含め、プロとしての土台をつくってもらった。

 あの頃、何も怖くなかった。チームはいいサッカーをしていたし、自分もうまくなっている実感もあった。トレーニングも複雑で、頭をすごく使っていたし、1年がすごく短かった。今、振り返ってみても、すごい1年だったと思う。いろいろと賛否両論はあるかもしれないけれど、俺にはすごく、いい出会いだった。

 たとえば、トレーニングでのワンプレーで、すごく怒るんです。もう有り得ないくらいに。でも、それは俺ら若手だけでなく、上の人にも同じ。誰に対しても平等だった。サッカーにも意志があったし、やり甲斐もあった。成長できていると感じた。

 でも2年目、監督がハシラ(柱谷幸一)さんになって、(いい悪いではなく)雰囲気は変わった。そこに対する戸惑いは大きかった。空気感が真逆なんです。ハシラさんはみんなで和気あいあいと、いい空気感でやることを大切にしていた。でも自分はヤッさんの存在があったので、物足りなさがあったのは事実。それでも就任2年目の2014年、J1昇格プレーオフ圏の5位に入った。こういうやり方でも結果を残せる。すごいと思った。

 2016年に徳島に移籍し、翌年に23得点。でもあれは、自分がどうこうではなく、チームに取らせてもらったというのが実感です。リカルド・ロドリゲスというスペイン人の監督がやろうとしていたサッカーに意志があったし、選手主導でいろんなことができていた。だから自分はゴールをとることだけに専念できたし、充実感も感じていた。ただ、最後の東京V戦で勝てなくてプレーオフ進出を逃したことは、決して偶然じゃない。日頃のトレーニングに対する向き合い方とか、そういうことじゃないですかね。選手全員が同じベクトルを向いていたか。試合に出ている選手はいいと思うけれど、そうでない選手の思いはどうだったか。最後に勝てないのは、そういうことじゃないですかね。

 

ここで、死んでもいい

 

 去年のシーズンはきつかった。別に(試合に出るのは)俺じゃなくてもよかったんじゃないかって思っていた。サイドの裏に走って、後ろに戻して、守備して。そこには意志もなく、相手との駆け引きもできなかった。でも、チームが勝つのは嬉しかったし、結果が出ていればいいと思っていた。個人的には何もしていないって思っていたけれど、あの時はそんなことを考える余裕もなかったから。自分が点をとれなくても、勝てればよかった。もちろん、点をとるチャンスはあったし、パト(パトリック)のこぼれとかも狙ってもいた。ただ、点をとるという役割以外の仕事もたくさんあったし、そこに対しては疲れた。

 チームが負け始めると、全てが嫌な方向にいくんやなって、改めて思った。たとえばアウェイの磐田戦とか、めっちゃいいサッカーをしていたと思う。でも連敗が続いていると、ああいう起きなかったことが起こるんやって。勝っている時は何もかもうまくいくのに、サッカーって不思議やなって。

 正直、あの頃は手詰まり感を感じていた。硬直化して、フリーズしていたような感じで。トレーニングの時はめっちゃいい雰囲気で、みんなやっていたのに、勝てない。それでさらにフリーズしてしまう。個人的には、トレーニングから何もかも変えて、気分も一新してしまう手もあったと思う。  自分も後半はケガもあって苦しんだ。一度ケガして、そこから調子をあげてきたのに、またも捻挫した。そこから復帰まで長引いてしまった。それは結局、自分の自滅。相手とぶつかった故の負傷ではなかった。ただ、「病は気から」ともいうし、そういうことなんじゃないですか。  ただ、無理はしていない。俺は、自分が何を言ってもいいと思っているから。どうなってもいいと思っているんで。他人の目とかも気にならない。そういう意味で、広島は楽っすね。まあ、今までもこんな感じでしたけど。

 普通は、他人の目は絶対に気になる。こう思われたらイヤだってこともある。でも結局は、気にしてもしゃーないってところに行き着く。誰がいいとか、誰々が上手いとか、他人が喋っている言葉を気にしても、しゃーないじゃないですか。上手いヤツはいっぱいおる。もちろん自分が上手ければ、それにこしたことはないけれど、気にすることはないって。

 FWは点をとればいいと言われるし、とれんかったらアイツはダメだって言われる。でもそういうことなら、どこか移籍すればいい。ただ、難しいですね。日本人はどこでも我慢をするけれど、その見極めが難しい。最近、そう思います。

 プレーしていても、ここで死んでもいいって思いながらやっていることって、ありますよ。今、自分は(サッカー選手に)なれんって思っていたけれど、現実にはなれているわけじゃないですか。でもハングリーさは常にあるし、言葉は悪いけれど、ボールを奪う時は相手に対して殺意に近い気持ちでやっている。そういう空気が出せているのなら、いいんじゃないですかね。プレスにしても、相手を叩き潰してやるって感じで。そうやっておけばいい。  

 

(続きは2月9日に発売されたSIGMACLUB 3月号でご覧下さい)

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