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【2019決算マッチレビュー】戦略の重要性/対鹿島戦(ACLラウンド16第2戦)

桶狭間の戦いのことを書いてみる。

織田信長の名を一躍知らしめたこの戦いは、結果を知っているから、あえて野戦に打って出た信長の戦術が高く評価される。もちろん、諜報能力も含めた信長の戦術的な能力の高さは評価されるべきだが、兵力や経済力の差、大将である信長と今川義元の経験の差を考えると、野戦に持ち込むことを是とする重臣は少なかったというのも肯ける。しかし一方で、信長の居城である清洲城は決して「天下の名城」というべきものでもなく、大軍に押し寄せられればひとたまりもなかっただろう。信長は打って出るしかなかった。

問題はそのタイミング。今川義元が田楽狭間という狭い谷の中で休憩をとっていたという情報を得たことで、信長が一気に城を飛び出し攻撃を仕掛けたという説が有力ではある。だが、この戦術にしても、ギャンブル以外の何者でもない。もし、義元を討ち取ることができなかったら、逆に信長自身が討伐された可能性も十分にあった。今川本隊は数万人規模というわけではなくせいぜい5000人くらいだったとも言われているが、それでも信長軍の倍はくだらないと言われている。野戦であれば武器に大きな差がない以上、兵力の差が歴然と結果に現れる。たとえ信長が幼少の頃から鍛えし強者がいたとしても、その数は1000人にも及ばない。

ここで言いたいのは、桶狭間の戦いはまぎれもなく、織田信長という若き武将が自分自身の生き残りと野望をかけて、大きなリスクを背負って打って出た「賭け」だったということだ。実際、信長は桶狭間以降、勝つか負けるか五分五分の戦いはやっていない。兵力+武器の戦力で上回り、地の利も生かして、勝利するべき戦いに持ち込む。そのために経済力を身に付け、兵農分離という大改革もなし遂げるわけだ。

ACLの対鹿島戦に話は移る。初戦、アウェイで0-1で敗戦したことが、戦略的にNoGoodだったことは言うまでもない。勝てないまでもせめて引きわけたかったし、負けるにしてもアウェイゴールは奪いたかった。0-1での敗戦は想定内ではあったはずだが、この結果によって広島はリスクを負って勝ちに出ないといけなくなった。

湘南戦の勝利を受けた流れの中で、広島は前向きなサッカーを選択するようにはなっていた。しかし、強かな鹿島は広島の「ボール保持力」の変化を読み取り、あえてボールを持たせることでカウンターを仕掛け、そこから貴重な1得点を奪いきった。このことで広島は第2戦、「攻撃」という野戦に打って出ざるを得なくなったのだ。しかもその結果、第2戦の前半でまたもカウンターから土居聖真に決められ、トータルスコアは0-2。勝利には3得点が必要となった。

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