【2020SIGMAの戦士】青山敏弘/今、彼はピッチで走っている
ふと、感じる時がある。
今、目の前で走っている、ボールを蹴っている、笑っている、叫んでいる青山敏弘は、本当の青山敏弘なのだろうか、と。
昨年1月、アジアカップ日本代表に招集され、意気揚々として中東に向かった。しかしここで右膝の軟骨を損傷。立つことすら難しい状況に陥った。その時のことを考えると、今の青山の姿は、夢のようだ。
SIGMACLUB2月号の記事から、負傷した時のことを引用しよう。
昨年初頭、青山が負ったケガは、多くの人々が「再起不能」ではないかと感じてしまうほどのレベル。右膝の軟骨損傷。それも、立つことすら難しいという状態だった。
アジアカップの日本代表に選出され、男は中東・UAEへと旅立った。しかし合宿に入ってすぐ、膝に痛みを覚えた。それは旅立つ前、国内キャンプから始まっていた。
古傷の半月板からのもの。でも、やれる。
しかし、痛みを我慢しながらトレーニングをやっていくうちに、今度は半月版の下の軟骨が痛み始めた。
不安はあった。しかし、メディカルスタッフはGOサイン。大丈夫だと信じた。
グループステージ第3戦。日本はウズベキスタンと対戦した。共にステージ突破は決めているが、連勝同士ということもあり、勝って首位突破を決めたい。森保一監督はここで青山を先発で使った。キャプテンマークも彼に与えた。
チームに貢献したい。戦いたい。サブ組に甘んじていた仲間たちと一緒に。
映像で見た感じでは、素晴らしいパフォーマンスに見えた。実際、現地で取材した記者たちの評価も高く、先制されても下を向かずに逆転勝ちをつかんだチームの中心として堂々たるプレーを見せていたように見えた。90分間やりきったことも、ほっとした材料の1つである。
しかし、戦士の内面は、全く違っていた。
球際もいけない。一歩目も遅いし、膝の痛みをかばってやっている。自分のプレーができていない。
それでも、試合中は「結果を出す」ことしか、考えていなかった。パス回しの中心として多くのパスを受け、そしてパスを出す。見事な逆転勝利を飾った後、記者に囲まれた青山は「途中で代わったら槙野に(キャプテンマークを)渡してくれと言われていたので、意地でも90分やりたかった」と言って笑わせた。誰の目にも青山敏弘の存在がノックアウトステージで活きてくる。そう信じた。
しかし、その日の夜。彼は立てなくなった。歩けなくなった。
アドレナリンとは恐ろしい。本来、彼は試合に出てはいけなかったはずだし、90分やれるはずもなかった。しかし、日本代表としてチームに貢献したい、目の前の相手に勝ちたいという強い気持ちがアドレナリンとなって分泌され、彼の膝を支えた。そして、1つの結果を見た時、膝が壊れていたことを自身が自覚した。
翌日、現地の病院に運ばれた。レントゲンを見たドクターは「(試合に出るのは)ダメだね」と一言。
「そんなことは、俺が一番、わかっている」
画像を見ながら、思った。
痛みなどの自覚症状だけでなく、ドクターと共に見たレントゲン写真には、素人目で見ても異常がはっきりとわかった。それほど、酷かった。
1月21日、ノックアウトステージでの対サウジアラビア戦勝利を見届け、青山敏弘は日本代表を離脱した。そのサウジ戦の前、グラウンドで彼は森保一監督と言葉をかわしている。
「自分は決勝まで行きたかった。だからぜひ、勝ってください」
それが青山が代表に残した魂。代表はその後、準決勝で「アジア最強」と呼び声の高かったイランを3−0で撃破し、決勝進出を果たしている。だがここで日本は、そこまで中盤で効果的な役割を果たしていた遠藤航が負傷によって欠場。代役として塩谷司がボランチとして起用されたが、そこは彼の本職ではない。決勝のカタール戦、日本は1−3で敗北してしまった。
もし、コンディション良好の青山が、いたら。
森保監督は決してそういうことは言わない。しかし、青山を知る多くの人々が、そう感じた。
だが、青山敏弘という好漢の状況は、深刻だった。アジアカップどころの話ではない。サッカーができるかどうか、選手生命が絶たれるかどうか。ギリギリのところにまで、追い詰められていた。
代表での優勝に力になりたいと思って、UAEまでやってきた。それができるという自信もあった。しかし、想いと症状の落差は、あまりにも大きかった。
「たぶん、もうピッチには戻れないんだろうな。もう、無理なんだな」
広島のキャンプ地であるタイへ向かいながら、青山の気持ちは切れていた。
責められない。
彼がどれほど、何度、大ケガと向き合ってきたか。
その過程をつぶさに見てきたものとしては、青山敏弘がここでサッカーをやめる決断を下したとしても、責めることはできない。もっと頑張れなんて、とてもじゃないが言えない。
広島のキャンプ地だったタイ・バンコクには、昨年から就任した亀尾徹メディカルアドバイザー(以下MA)が待っていた。彼は、青山の膝の状態を画像も含めて確認した上で、こう語りかけた。
「大丈夫。治る膝だ」
スポーツに関わる理学療法のスペシャリストとして、知る人ぞ知るマエストロである亀尾MAは、こうも言ったという。
「もちろん(リハビリが)うまくいかなければ、手術も考えないといけない。しかし、手術ありきで考えるには、まだ早い。メスを入れる前にやるべきことをやって、その上で手術しても遅くはないから」
この言葉がどれほど、引退まで覚悟した青山を救ったことか。
実際のところ、青山敏弘の膝に対する所見はどうだったのか。あれから約1年、亀尾MAに直接、話を聞くことができた。
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