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【THIS IS FOOTBALL】情報を扱うことの難しさとチェアマンの決断への流れ

新型コロナウイルスに対しての情報が、ネットでもあるいはオールドメディアでも溢れている。それは致し方ないことなのだろう。

だが、情報というのは全てが正しいわけではない。それはインターネットの時代だけでなく、新聞であろうが雑誌であろうが、全てが正しいというわけではない。

見解が分かれるということはある。しかし、できるかぎりエビデンス(証拠・根拠)を準備して論理を展開していくことを、自分自身の戒めとして、心がけたいと思っている。

例えばサッカーの技術や戦術的なことについても、明白に結果が出ているものならともかく、そうでないものであれば、できるだけ専門家に教えを請うことが望ましい。話をしてみればわかるが、少なくともJ1のトップチームやアカデミーで仕事をしている指導者は、多くの情報を持っている。その情報は、僕のような仕事をしている人間にとっては、宝の山だ。だが、その宝物にしても、実は指導者によって様々な考え方が存在するもの。どれが正解なのか、それを探り出すのはやはり、結果でしかない。でも、その「結果」という定義もまた、難しい。

例えば「勝負師」としてであれば、なんといっても優勝であり、飛躍的な順位の向上が目安になる。一方で「育成者」という観点でいえば、どれほど多くの若者を世に出したかで決まるかもしれない。ただ、それを「サッカー」という単位でみるのか、「社会人」という分野で見るのかでも。大きく変わる。

何が言いたいか。情報を扱うということの難しさ、である。

サッカーの世界でもよくあることではあるが、「こういう原稿を書きたい」という結論ありきで、取材を進める記者がいないことはない。そういう相手にかかると、選手や監督が何を言っても、その結論の方向に持っていかれる。編集とは恐いもので、一つの言葉を切り取り、前後の文脈においてどうにでも操作できる。だからこそ、情報を扱うものにとっては「モラル」が大切であり、情報を受け取る側にとっては正しい「リテラシー(理解・解釈)」が本当に重要なスキルとなってくる。

今回のような感染症といった人の生命に関わる場合、情報発信者は特に注意が必要だ。永井豪の「デビルマン」は漫画史と言わず文学史に残る名作だと思っているが、この作品で悪魔が人間を滅ぼす過程はまさに恐怖だ。詳しくは書かないが、情報というモノが持つ怖さが、この作品を読めば如実に理解できる。

今回、Jリーグがここから3週間の公式戦延期を決めたことは、その決断の過程をなぞると、非常に論理的である。冷静である。パニックになってはいない。情報を適切に扱い、その上で結論を出しているなと感じた。

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