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【日々、紫熊倶楽部】30年以上前から、僕はリモートワーク

昨日の「公式戦延期決定」にも驚いたが、それは少し予期していた部分もあった。だが一方で、さらに驚いたことがある。

「JリーグのWEB会議で……」

仙田信吾社長がそう言い出した時だ。

え?WEB会議??

実は今回のJリーグの会議は、東京に全国から各クラブの実行委員が一堂に会して行われたと思っていた。まさか、WEBでやりとりされていたとは(村井チェアマンはビデオ会議と表現していた)。

いやあ、今回の事態を解決する方法、それだけでなく働き方改革のキモとなるのは「リモート」だと感じていたが、そこをJリーグがこういう形で実践していたとは。素晴らしい。

僕がリクルートで働いていた頃は、「ブラック企業」という表現は0だった時代。校了間際などはほぼ徹夜で会社に泊まり込む日々が続いた。どこからが出勤で、どこからが退社か、わからないくらい。ただ、リクルートは当時から残業手当はほぼフルマークで支払ってくれる会社であり、サービス残業などは一切なかった。だからこそ、頑張れたとは思う。

僕はその後、リクルートの子会社に転籍となり、それまでのアルバイトから正社員という立場になり、さらに管理職になった。管理職となると他の手当が出るかわりに、残業手当は出なくなる。僕は管理職専任ではなく広告の制作ディレクター兼コピーライターという立場だったので、現場の仕事も多く、時間外でも会社に残って仕事もしていた。それはそれで気にはしていなっかたのだが、ただ無為に会社にいることに対して違和感を覚え始めた。1990年代前半、ドーハの悲劇前後の頃だったと記憶している。

子どもも小さくて、妻の負担も大きい時期。僕が家にいてもできることは限られていた。手が荒れ放題だった妻のために、当時はまだ珍しかった食器洗い機を買ったことで彼女との会話の時間が増え、そこで妻が感じていた厳しさ・寂しさが如実に伝わった。松山から一人で出てきて友だちも家族も広島にはいない。同じ職場で働いていたことがあるから会社の事情も知っている妻は、自分の不安を押し殺して、いつも明るく接してくれていた。なのに、僕は毎日の業務に追われて、その寂しさ・不安に少し気づいてはいたけれど、そこに対して何かをしないといけないという思いよりも、仕方がないという感覚の方が強かった。

だが、このままでは仕事によって家庭が壊れてしまうかもしれないと思った僕は、仕事のやり方を変えた。会社にいるのは9時からせいぜい18時まで。クリエイティブ部門で誰よりも早く、家に帰った。家に仕事を持ち帰ることにしたのである。原稿の打ち合わせも、その時間で。どうしても営業が遅い時間しかできない時は、電話とFAXで行った。幸い、当時の(そして今も)自宅の部屋は狭く、彼女からずっと見える場所で、僕は仕事ができた。そのことだけでも、妻の表情が明るくなった。何かあったら、すぐに相談もできるし、育児にも参加できるようになったからだ。

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