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【THIS IS FOOTBALL】東日本大震災でも発揮された、受け入れる人が持つ強さ

落語に「天災」という話があるそうで。

NHKがかつて放映したドラマ「ちりとてちん」の中で紹介されていたこの噺は、何にでもすぐにキレる男に対し「全てのものを天から降ってきた災い、天災だと思ってあきらめなさい」と心学の先生が諭すことで物語が展開していく。落語なので、最後には落ちがあるわけだが、それにしても「なるほどな」と思った。

ここでいう「あきらめる」という意味は、何もかも投げ捨てて自暴自棄になるということではない。「受け入れる」ということだ。何かトラブルが起きた時も「天災だと思おう。天とは喧嘩できない」。受け入れるということは現実をしっかりと認識し、次に向かおうということだ。

日本は天災が多い国である。

サンフレッチェ広島がファジアーノ岡山とトレーニングマッチを行った昨日は、奇しくも東日本大震災が発生した日と同じ。選手たちは黙とうを捧げ、犠牲になった方々への哀悼の意を表した。「原発事故は天災ではない」と言う人もいるかもしれないが、そもそもはあれほどの地震と津波がなければ、起きなかった事故ではある。

その16年前、1995年1月17日には阪神・淡路大震災。1923年9月1日は関東大震災。歴史上、日本を襲った大地震はあまたある。それだけではない。1991年6月3日には雲仙普賢岳の噴火によって大規模火砕流が発生。地震国日本は同時に火山大国でもある。この雲仙普賢岳だけでなく、数々の火山の噴火によって甚大な被害を受けた歴史も記録されている。

夏から秋にかけては台風だ。また梅雨前線や秋雨前線などによって豪雨災害が引き起こされ、広島でも甚大な被害が起きている。2014年8月20日、天皇杯対水戸戦の前夜に起きた豪雨災害は、未だにその爪痕が生々しい。その4年後、再び集中豪雨によって甚大な被害が起きたことも記憶に新しいところだ。

だが、その度に日本の人々は、天災を受け入れてかつ、そこから這い上がっていく力を示した。たとえば、髙萩洋次郎(現FC東京)のご家族は、東日本大震災の被災者である。福島県いわき市で津波にあい、両親と祖母が住んでいた家の1階が破壊された。

それがどういう状況だったのか。

2013年12月号のSIGMACLUBは、髙萩洋次郎にフューチャーした一冊である。その時、髙萩のご両親に当時の状況をふり返って頂いた。その時の記事を、一部引用したい。


 2年7ヶ月前の話に、自然と進んだ。

 「地震発生は、14時46分。この日、妻は14時くらいまでは家にいて、おばあちゃん(妻の母)と一緒に食事をしていたんですよ。その後、妻は仕事に、母は家の1階にいたはずです。本当に、すごい揺れでした。私は(勤務しているスポーツクラブの)事務所で仕事をしていたのですが、木造とはいえ事務所の建屋が潰れてしまうのかと思った」

 マグネチュード9.0。19世紀終盤以降の世界観測史上でも数例しかなく、日本観測史上最大規模となった未曾有の大地震は、いわき市でも震度6弱を記録。気象庁の震度推計分布図では局地的には震度7相当の揺れがあったとも言われるほどの、強烈な揺れ。

 その時、奥様はといえば、勤めていた薬局に居た。

 「あの時は患者さんもいらっしゃったし、まずはその方々の安全を考えていたんです」

 揺れが一段落した頃、携帯が鳴った。次男・洋次郎からだった。

 「大丈夫?」

 李忠成からのメールでこの巨大地震を知った洋次郎は、矢も楯もたまらず、電話を入れたのだ。あれだけの大地震の直後に携帯がつながったのは、奇跡といっていい。

 「お母さんは大丈夫だけど、おばあちゃんが家にいるのよ。こんなに揺れたし、きっと怖がっているんじゃないかな」 

 典子さんは、そう返した。ただこの時は、大きな揺れの後にやってきた恐怖がまだ、誰にもわかっていなかった。 

 「洋次郎が、津波のことを言ってきたんです。そっちの方がやばいよ、って。でも、私には津波の怖さなんて、頭にはなかった。ただ、母がやはり心配だったので、家に戻るために職場を出ようとしたんです。するとウチの社長が、『クルマでは動けない。すごい渋滞が発生しているから』と言ってきたんですよ」

 夫が妻と連絡がとれたのは、17時すぎ。地震発生から2時間以上も過ぎた時だ。互いに、まずはほっとした。

 当初、自宅に戻ろうとしたが、途中て通行止め。普通なら15分もあれば行ける道が、渋滞で全く前に進まない。海岸の方に行こうとしても、道路に水が溢れている。そこで初めて、「津波」という現実を理解した。

 妻もまた、母のもとへ行こうと、自転車を走らせようとした。ところが、家の方角から来る人々が「津波が来るから逃げて」と叫んでいる。

 え?津波?

 事態がうまく飲み込めない。しかし、これ以上、前に進めないことは確かだ。

 自転車を反転させ、引いて戻ろうとすると、見知らぬ人が「自転車なんかじゃ間に合わない。乗りなさい」と軽トラックに乗せてくれた。その時、クルマから海の方を見ると、水がこちら側に迫っていた。高台のパイパスまであがってクルマを下りると、「逃げろ」と言われたあたりまで、水がジワリ、ジワリ。アメーバのように形を変えながら浸食してきた。

 「津波っていうと、激しい波がバサーッてくるイメージですが、私が見たのは違うんです。本当にジワジワってくる」

 家の方向を見ると、水で周りが覆われていた中、白い壁の家は確かに建っていた。

 「周囲の状況は混乱していたのに、ウチはそのままの状態に見えたんですよ。まるで何事もなかったかのように」

 だから、きっと母はそこにいる。

 家に取り残されている。

 そう思っていた。

 「するとご近所の方が『水がひいたみたいなので、様子を見に行ってくるよ』と言ってくれたんです。それから……、1時間くらいかかりましたかね…。その方が戻ってきて、様子を教えてくださいました」

 報告は、悲しみに満ちていた。何ともないように見えた髙萩家の1階は完全に水浸しでグチャグチャ。2階や階段は何ともなかったけれど、おばあちゃんがそこにあがった気配はない。

 「もしかしたら、消防の人も行っていたから、救出してくれたのかもね」

 優しい言葉が、胸を締め付ける。

 ただ、母が家にいないことは明白になった。心配は募るが、とりあえず、自分も避難所に向かわねばならない。自転車で行くにしても、遠い道のり。山もあれば、谷もある。それでも、「クルマで送ってあげますよ」と言ってくれた優しい青年に連れられ、妻は避難所にたどり着いた。

 軽トラックに乗せてくれた人、家まで様子を見に行ってくれた人、避難所に連れて行ってくれた青年。

 極限状態、未曾有の大地震と大津波に襲われた直後だというのに、周囲で困っている人に対して、あたたかい手を差し伸べてくれる人がいたこと。心が揺さぶられる。

 避難所で夫婦は「再会」した。小学校の体育館にストーブが2台しかない状況。寒さは暗くなるにつれて、どんどん身にしみた。ただ、とにかく無事であったことを、互いに確認できたことで、ほっと安堵した。

「顔を見るまでは、想像が悪い方ばかりに傾くから。この時の安堵感は、言いようがない」

 しかし、もう一人の家族であるおばあちゃんが、そこにはいない。動揺は隠せないが、どうしようもない。

 子供たちに連絡をとりたいが、当然のように、携帯は通じない。そこで妻は、携帯の災害時伝言板に「私たちは無事。ただ、おばあちゃんとは、まだ会えない」と書き込んだ。広島で信じがたい津波の被害情報を知り、心がくだけそうになるほどに心配していた洋次郎は、その伝言板の情報を見て、とりあえずはほっとした。だが、おばあちゃんの安否がわからないことが、心にひっかかっていた。

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