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【SIGMACLUB4月号】レアンドロ・ペレイラ/ストライカー

 

シャペコエンセの悲劇

 

友との別れは突然、何の予感もなく、レアンドロ・ペレイラを襲った。友はサヨナラもいわず、何のメッセージも残してくれなかった。いや、そうする時間もなかったと言っていい。おそらくは彼らも、全く予期しないことだったからだ。

20161128日の夜。レアンドロ・ペレイラは上機嫌で自宅に戻ってきた。前日、彼の所属するパルメイラスは22年ぶりとなるブラジル全国選手権優勝を決め、優勝記念パーティーが行われたからだ。

1960年代には4度の優勝と黄金時代を築き、それまでに8回の全国制覇を成し遂げながら、その後は不振に陥り、2003年・2013年は二部でのプレーを余儀なくされた。だが、2014年に1部復帰を果たすとその2年後に優勝。かつてロベルト・カルロスやカフー、リバウドなどの名選手が活躍し、広島にとっては忘れられない存在であるセザール・サンパイオも所属した名門クラブで、レアンドロ・ペレイラはプレーしていたが、その2年前までシャペコエンセというクラブが彼の所属先だった。

シャペコエンセは1973年に創設された、ブラジルにとっては比較的新しいクラブである。パルメイラスは1914年、レアンドロ・ペレイラが「心のクラブ」と言うサンパウロFCは1900年の創設。100年を超える歴史を持つビッグクラブとは比較にはならない。しかし、サンタカタリーナ州選手権では優勝を重ね、2014年にはブラジル全国選手権の1部に昇格。その年にレアンドロ・ペレイラは移籍し二桁得点を記録している。この時の活躍が認められ、少年時代からの夢であったビッグクラブ(パルメイラス)との契約につながったのだ。わずか1年ずつ、二度の在籍とはいえ、彼にとっては思い出深いクラブである。

「シャペコエンセでは2度、プレーしている。2014年と2018年。自分にとっては、非常に想いが深いクラブなんだ。自分の人生の中で、強いインパクトを受けたというか、心に刻み込まれたクラブだと言っていいだろう。パルメイラスも特別だが、シャペコエンセでは在籍した2シーズン共に二桁得点という結果を残すことができた。特別なんだ」

実は2016年のパルメイラスの優勝は、シャペコエンセとの試合で勝利して決まった。1127日のことだ。

「その試合の時、シャペコエンセの選手たちとは話ができた。一緒にプレーした仲間たちもたくさんいたからね。クラブの強化部長もいて『また、シャペコエンセに戻ってよ』と冗談も言ってきていたんだ」

時間を翌日の夜に進める。

優勝パーティーから戻ってきた彼に、妻が一つのニュースを告げた。

「シャペコエンセの選手たちが乗った飛行機に、何か問題が起きたかも」

「え?」

「インターネットで見たニュースなんだけどね」

「そんなバカな。だって、ほんの何時間前、マルセロ(シャペコエンセのDF)と電話で話していたんだ。彼と彼のボディガードにユニフォームをプレゼントするからって、言っていたんだ」

ニュースを信じたくないレアンドロ・ペレイラは、シャペコエンセの知り合いに連絡を入れた。返事は、ない。

「うそだ」

そう信じながら、テレビをつけた。

大騒ぎになっていた。

コパ・スダメリカーナという南米のカップ戦決勝に初進出を果たしたシャペコエンセの監督・選手を乗せたコロンビア行きのチャーター便が2155分に消息不明となっていた。その後、その飛行機の墜落が確認された。

コパ・スダメリカーナは、ヨーロッパでいえばUEFAヨーロッパリーグに相当する権威ある大会。優勝すれば南米ナンバーワンクラブを決めるコパ・リベルタドーレスへの出場権を獲得し、クラブ・ワールドカップへの道が開ける。新興のシャペコエンセにとってはとてつもないビッグチャンスだ。アルゼンチン屈指のビッグクラブであるインデペンディエンテをPK戦で下して波に乗り、ジュニオール(コロンビア)、サン・ロレンソ(アルゼンチン)といずれも100年前後の歴史を誇る伝統クラブを撃破し、クラブとして初めてのビッグタイトル獲得のチャンスを得た。

しかし。悲劇。

決勝戦のファーストレグ開幕を2日後に控えての移動便が、コロンビアの山中に墜落したのである。

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