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【サンフレッチェ広島取材の軌跡】1999年4月14日対仙台戦(ナビスコカップ)/FWがGKを務めた日

 

●観客3906人の前で起きたアクシデント

 

経営危機が完全に去ったわけではない。久保允誉社長が改革に着手して1年弱。経理担当者が「通帳に残額がない。定期も崩してしまった」と途方にくれた1997年時からは改善されてはいたものの、まだ単年度黒字を成し遂げたわけではなかった。沢田謙太郎が獲得できたとはいえ、彼は柏との契約満了で移籍金はかからない状況ではあったし、外国人選手たちも状況をよく理解しているエディ・トムソン監督がかつての教え子たちであるオーストラリア代表選手を引っ張ってきた。彼らもまた、それほど高額の移籍金ではなかったはずである。

だからこそ、スタジアムをサポーターで埋めることが死活問題だ。だが、平均観客動員数が6533人/試合まで落ち、1998年も8339人に止まっている。簡単ではない。まして、水曜日のナイターのナビスコカップ、相手がJ2のチームであるとなれば、なおさらだ。観客動員は3906人。しかし、広島スタジアムで開催されたこの試合を覚えている人は、決して少なくないだろう。

試合そのものは、J1にいる広島の順当勝ちだった。57分までに4得点。藤本主税・沢田謙太郎・上村健一、そしてアウェリオ・ヴィドマーのゴールで勝負は決した。当時、仙台のボランチには中島浩司がいたが、正直に言えば彼のプレーは全く覚えていない。個人がどうこうという前に、チームとして明確な差があった。今のJ1とJ2であれば、どんなカードであっても簡単にJ1のチームは勝てない。例えていえば、J1とJ3以上の差であろう。無理もない。この年はJ2初年度なのである。

ただ、この試合はアクシデントにつぐアクシデント、そんな展開となった。

最初のアクシデントは25分。藤本のFKをGKがパンチングしたボールがそのままゴールに入ってしまったこと。広島の幸運、仙台の不運。ただこの時、仙台の選手たちが執拗に抗議を繰り返し、DF渡辺佳孝が主審に暴言を吐いてしまった。一発レッド。27分にして、仙台は10人でのプレーを余儀なくされた。

退場劇の1分後、吉田康弘のパスを高橋泰が確実に落とし、そこに走り込んだ沢田謙太郎が左足で押し込んだ。2-0。その後もほぼ一方的な展開が続き、後半開始直後のセットプレーから上村健一のスーパーボレーが決まり、57分にはヴィドマーが藤本とのワンツーからストライカーらしい粘りのゴールを決めた。勝利はほぼ手にした、と思っても無理はないはずである。

だが67分、ちょっとした緩みが出たか、仙台にビッグチャンスを許した。オフサイドをとりにいってかいくぐられ、高田純に飛び出されたのだ。高田は広島ユースからプロに昇格した第1号選手で、この時は仙台に移籍していた。その高田に「恩返し弾」を決められてしまうのか。

怪我のために欠場が続いていた元日本代表GK前川和也、1対1の対応。しかし、高田の足を払ってしまってPKを与えてしまった。しかも、得点機会阻止ということで一発退場。

なんということだ。

場内騒然。既にトムソン監督は3人の交代枠を使っていた。つまり、前川が退場しても、代わりのGKを入れられない。

まず、PKを何とかしないといけない。

上村健一がGKグラブをはめた。キッカーは高田。かつては一緒にトレーニングをしたこともある後輩に、プレッシャーをかけた。しかし、高田は冷静に決めた。

緊迫感、MAX。プロフェッショナルのGKがいなくなった。守備の要が、文字通りの不在。

さあ、どうする。

当時、トムソン監督の通訳を務めていた上野展裕コーチ(後に金沢や山口、甲府で監督を務める)が、指示を伝えた。

「GKはヴィドマーだ」

この試合でゴールを決めたはずのストライカーが、残り23分間、今度はゴールキーパーとしてシュートを防ぐ立場になった。ヴィドマーにとってはまさに、コペルニクス的転回である。

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