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【サンフレッチェ広島取材の軌跡】1999年11月27日対浦和戦/伝説(前編)

その時はまだ、僕たちは「当事者」ではなかった。その3年後、自分たち当事者になることなど、想像もしなかった。

1999年11月27日、駒場スタジアム。この日、浦和レッズはJ2降格の危機に瀕していた。

最終節を残し、浦和は14位。15位以下の2チームはJ2に自動降格が決まる。最下位は既に平塚で決定しているが、残り1枠に入る可能性が市原(現千葉)・浦和・福岡にあった。

浦和は90分で勝利すれば、問題なく残留が決まった。当時は延長Vゴール方式で、90分勝利=勝点3、Vゴール勝利=勝点2、引分=勝点1というシステム。降格圏の15位・千葉とは勝点差1だから、90分勝利であれば市原の結果に関係なく14位以上で確定だ。だがもし90分で結果を出せなければ、市原が90分勝利で順位は逆転する。それでも13位福岡が90分で敗れれば勝点で並ぶが、得失点差は必然的に+1しか回復できない。福岡とは得失点差で4点下回っているので、彼らが4点差で敗れないとひっくり返らない。総得点でも3点、浦和は福岡に遅れをとっているのだ。

浦和がこんな位置にいるなんて、想像もつかなかった。

前年のセカンドステージ、浦和は3位でフィニッシュ。原博実監督のもとでルーキー・小野伸二やオランダのPSVで活躍したゼリコ・ペトロヴィッチ、バルセロナのレギュラーとしてスペインでの優勝経験を持つベギリスタインなどのタレントを擁したJ最大の人気チームは、1999年は優勝を狙える可能性もがあると、個人的には思っていた。

だがファーストステージ第4節、広島に1-4で敗れてから、浦和はリズムが狂った。それでもファーストステージは11位で持ちこたえたが、最終節で名古屋に1-8と大敗したのが尾を引いた。セカンドステージは開幕から4連敗、第6節からさらに4連敗。第11節・神戸戦でも敗戦し、その時点で降格圏14位に沈んだ。監督は既に原博実からオランダ人のア・デモスに変わっていた。

市原との直接対決で勝利し、勝点で並んだ。さらに平塚にも勝利して、浦和は降格圏を脱出。赤いサポーターを少し、安堵させていた。第14節は優勝にも降格にも関係がないヴェルディ川崎。勝利すれば、市原の結果次第で残留が決定する。

開始2分で永井雄一郎が先制。期待の若きストライカーの2試合連続ゴールは赤いサポーターを勇気づけた。しかし39分、ジェフェルソンに同点弾を喫する。67分、天才・小野伸二が勝ち越し弾を叩き込んだ。そのまま、そのまま。浦和サポーターは願う。しかし。88分、北澤豪ゴール。21本のシュートを打たれた浦和は、勝点1を確保することがやっとだった。

一方、負ければ降格決定の不安の中で、市原は福岡に5-0と快勝。連敗を4で止め、13位福岡も残留争いの渦中に引きずりこんだ。一方の福岡はこれで6連敗。勝てば、いや引き分けても残留決定だったのに、どうしてもそれができない。

Jリーグ史上初となる残留争いは、熾烈を極めた。一方でこの年が初めてとなるJ2の競い合いも凄まじい。最終節を前にして川崎Fの昇格は決まっていたが、もう1チームは大分とFC東京が勝点1差で鎬を削っていた。

11月21日、FC東京は新潟に1-0で勝利。しかし、大分が勝てばFC東京の昇格は消え、大分が勝ち上がる。大分のホームスタジアムで行われた山形との最終節、ウィルのゴールを大分はずっと守っていた。山根巌や金本圭太といった元広島の選手たちが踏ん張りを見せ、昇格まであとわずか。だが89分、セットプレーから吉田達磨がゴール。山形、同点。それでも延長でVゴールを勝ち取れば、得失点差で大分がFC東京を上回ることができたのだが、一人少ない山形を最後まで崩せず。1999年、大分の夢は、ここで消えた。

猛烈にドラマティックなJ2の昇格争い。だが、J1の残留争いは、そのドラマ性を希薄にさせるほどの深刻さを見せていた。

浦和は、Jナンバーワンの人気クラブである。ホームだけでなくアウェイまで押し寄せる赤いサポーターの姿は、ある意味でJリーグの象徴とも言うべき存在だった。その彼らが、J2降格となるかもしれない。そんなことがあっていいのか。サッカーファンだけでなく、多くの人々が浦和の動向に注目していた。セカンドステージの優勝は既に清水が勝ち取っている。注目は残留争い1本。浦和が残るか、落ちるか。そこに集約されていた。

最終節のカードをご紹介しておこう。

15位市原は、アウェイでG大阪。13位福岡は、やはりアウェイで横浜FM。そして14位浦和は、ホームで広島と対戦する。下馬評では、浦和は優勝も降格も関係ない広島にはモチベーションが希薄。ホームのサポーターを味方に、浦和が勝ってギリギリで残留を果たすだろうという予想が支配的だった。また、前節で福岡に快勝した市原がG大阪に勝ち、福岡が横浜FMに敗れて勝点で並び、得失点差で上回って連敗中のアビスパが逆転降格する可能性もあるとも。

さらに、広島には厳しい状況もあった。

エース久保竜彦が第11節の鹿島戦で骨折。最終節も試合出場は不可能となっていた。藤本主税も負傷で最終節は欠場を余儀なくされ、リベロのトニー・ポポヴィッチも怪我で不在。替えの効かない主力3人が試合に出られない。2020年のチームでいえば、荒木隼人・森島司・レアンドロペレイラがいないという状況だ。その上、貴重なバランサーとしてシーズン後半から活躍していた吉田康弘も負傷中。戦力的な厳しさはどうしようもない。久保がいない第12節以降、1分2分。「浦和有利」という事前の予想も、当然である。

試合前日、エディ・トムソン監督は苦笑いを浮かべながら、浦和戦の展望を語った。

「 明日はすごいサポーターがくるんだろ?でもまあ、とにかく、やることはしっかりやる。勝つためにやる。レッズにとっては歴史的な日となるのかもしれないけど、我々にとっては普通の試合だ。それに私はレッズにも友人はいるが、ジェフにもアビスパにも友達はいるからね(苦笑)。負けるわけにはいかない」

若きリーダー・上村健一は決然としていた。

「次の試合がどういうものか、その状況はわかっています。相手も必死でくるでしょうけど、やられるわけにはいかないし、それに、こういう状況になれば、ウチの選手たちもピリピリしてくるから、逆にやりやすいと思います。ゲームに入れば、勝つことしか考えていない。相手が入れ替えをかけるとか、それは向こうの事情でしかないわけでしょう。僕らには関係ないし、考える必要はない」

前年、J1参入決定戦があり、札幌がJ2でのプレーを余儀なくされた。だが、それはあくまでJ1を18チームから16チームに再編し、J2を立ち上げるための処置であり、1シーズンを戦いぬいた結果としての「残留」「降格」は初めて。降格したら、どういう現実が待っているのか、その恐怖は得体がしれないだけに、チームを、クラブを震撼させていた。そしてその恐怖は当事者のサポーターを心臓が破裂せんばかりのメンタルに追い込んでいた。一方、そうでないチームのサポーターやJリーグファンは、「天国か地獄か」のスリルに得も言われない興奮を感じていたことも事実。経験がないというのは、人に恐怖を与え、そして残酷さをも付与するものだ。

浦和戦当日は、よく晴れていた。記者たちは、こんな話題につい、なってしまう。

「浦和がもし降格したら、駒場はどんな状況になるんだろう」

「熱狂的な浦和サポーターは、きっと荒れるんだろうな」

「身の危険がさらされるかもしれないな」

前年のワールドカップで、熱狂的なサッカーのサポーターが暴徒化する「フーリガン現象」が盛んに報じられたこともあり、駒場もそうなってしまうのではという恐怖は、まぎれもなくあった。興味本位で、軽い気持ちで、そんな言葉をかわす者も、確かにいた。

しかし、いざ駒場にやってきて、2万人の赤いサポーターで埋まったスタンドを見た時、誰もが軽口を利けなくなった。

その想いの強さに。その切実さに。

キックオフ直前、駒場スタジアム。僕はメールマガジン「広島フットボール」で、その時のことをこう書いている。


スタンドを覆う赤い観客。しかし、意外なほど静かだ。15分前、先発メンバーが発表。その瞬間、大歓声とコールが、駒場を揺るがす。そして、すべての発表が終わった後、瞬間静かになる

スタンド。ホーム側のサポーターから、静かにバラードが聞こえる。

エルビス・プレスリーの「I can’t stop falling in love with you」だ。

その静かなバラードが終わった瞬間、「We are Reds!!!」の大合唱が始まる。

バックスタンドの2階席から「スルスルスル」と大きな幕がおり、1階席を覆い尽くす。

左から赤字に白、白地に赤、黒字に赤で、ハートマークと12の文字が。そして、「PRIDE URAWA」の文字が浮き出される。

レッズの選手たちは、こういう演出に出迎えを受けるのだ。


1999年11月27日15時4分、伝説の試合のキックオフである。

 

 

(続く)

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