【サッカー人気5位】「今は少ないパイを奪い合うのではなく」…

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【サンフレッチェ広島取材の軌跡】1999年12月19日天皇杯4回戦対福岡戦/カズの台頭

1999年という年がクラブにとって「エポック」だったとすれば、それはやはり森﨑和幸のデビューにつきる。

クラブ史上初の高校生Jリーガー。広島ユースに加入した時から、弟・浩司と駒野友一の三人は「クラブの未来を背負って立つ」と言われていた。そしてその期待に対して見事に応えきったという点でも、やはりカズは偉大だった。プロ1年目から病気や怪我の離脱期を除いてポジションを守り続けたのは、クラブ史上カズだけである。2018年最終節、城福浩監督がカズを先発させたのは引退に向けての花道をつくろうとしたのではなく、札幌戦勝利にカズの存在が必要であったからだ。

Jリーグデビューは、やや唐突な形となった。11月20日、対G大阪戦。森保一と伊藤哲也が出場停止で、フォックスがオーストラリア五輪代表に選出されたため、試合出場は難しい。吉田康弘とポポヴィッチは怪我で離脱中。そうなると桑原裕義をリベロに使わざるをえず、ボランチの人材が枯渇してしまった。そこでエディ・トムソン監督はかねてから高く評価していた広島ユースの森﨑和幸の先発起用に踏み切ったのだ。そういう意味でも、この若者は「持っている」。

G大阪で先発し、名古屋・浦和と途中出場。ずっと安定したプレーを見せていた18歳だったが、勝利をつかむことはできなかった。ボランチにとって重要なのは、結果である。個人としてどんなにいいプレーを見せようとも、結果をつかむことができないとチームメイトの信頼を得られないのが、舵取り役だ。たとえ高校生であっても、関係ない。プロと同じピッチに立っているのだから。

だからこそ、リーグが終わった後の天皇杯は、彼にとっても非常に重要だった。

ちなみに当時、Jクラブが出場する天皇杯は12月にまとめて行われていた。筆者はこのシステムに立ち戻るべきだと思う。11月30日に来季の契約に向けての通告が為されたり、外国人選手の契約問題など、様々な課題はあるが、それは今と変わらない。クラブワールドカップにしても開催時期は毎年12月から4年ごとの6月になる。障害はないはずだ。

それはまた、いずれ別の機会に語りたい。

12月12日、天皇杯初戦の3回戦・本田技研戦は、ハイドゥン・フォックスがアディショナルタイムに放った直接FKでの決勝点を含むハットトリックを決めて勝利。しかし、カテゴリーが下の相手にフォックスが守備でミスを連発し、一時は1−2とリードされてしまった。ヒーロー・フォックスも守備の部分でおおいに反省。「パフォーマンスとしては最悪」と下を向いた。

この試合、カズは1-2となっていた62分から森山泰行に代わって出場。ボランチではなくトップ下に入った。特筆すべきプレーは特段なかったが、「僕が出た試合で初めて勝てました」と無邪気な笑顔を見せた。そのことが、彼自身が感じていたプレッシャーの重さを印象づけた。

12月19日、福岡との4回戦がなぜか、岐阜・長良川競技場で行われた。今はなるべく、どちらかのホームゲームとなるように工夫されているが、当時は「普及」という目的もあり、こういう「中立地」での開催は珍しくなかった。ただ、当然のごとく、岐阜の人々にとって広島も福岡も興味の対象外。同日に開催された名古屋の試合の方が彼らにとっては身近だったのかもしれない。

会場に来てみると、予想以上にスタンドは閑散としていた。無理もない。12月の寒さは厳しく、焼きそばが凍ってしまっていたほどの空気の冷たさ。一風ごとに、体温を持っていかれる感じがした。

スタンドのお客さんを数えていた。100人を超えたくらいで、やめた。数えきれてしまうのが怖かったからだ。1997年頃の広島ビッグアーチも閑散としていたが、さすがにお客さんが数えきれることはなかった。公式発表では511人。よく500人も来てくれたと逆に感心してしまった。

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