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【SIGMACLUB立ち読み版】荒木隼人/屈辱の中でも見失わない希望

長期と短期、目標を見失わない

荒木隼人という名前は、知らなかった。というよりも、覚えていなかったといっていい。

彼がキャプテンを務めた2014年の広島ユースは、GKの白岡ティモシィやスピードのあるアタッカー=横山航河らが主力を務め、一つ下の学年には長沼洋一がいた。

当時の広島ユースは、大きな才能を吐き出した後の過渡期に突入していた。荒木が入った時には3年生に野津田岳人がいて高円宮杯3連覇を成し遂げた、まさに黄金期。2年生には川辺駿と宮原和也(現名古屋)、大谷尚輝(現町田)と後にトップチームに昇格した俊才がズラリ。高円宮4連覇はならなかったが、日本クラブユースとJユースカップ、共にファイナリストに輝いた。しかし、荒木の代になると成績は低迷。彼の同期で、ユースからトップチームに昇格した選手は一人もいない。それは2011年以来、3年ぶりのことだった。

荒木は2年生の時からチャンスをつかんだ。日本クラブユースの準決勝では先制点をゲットして清水撃破に貢献。自信をつかんだシーズンだったことは間違いない。しかし、そういう事実も記録を調べたことで思い出したまで。当時は川辺・宮原・大谷といった大器に加え、1年生には長沼がいた。彼の同期にしても、目立ったのはやはり白岡だった。主将を務めた荒木の印象は、失礼ながらほとんどなかった。強化部に昇格のことを聞いても、荒木の名前が出てきたことはなかったと記憶している。

「サテライトの練習試合に参加させてもらいましたが、技術もメンタルも、全てにおいて及ばない。それが僕の実感でした。自分がプロになれるか確信はなかったし、ユースからトップにあがる自信もなかった」

何よりも主将として、DFのレギュラーとして、チームを勝たせられないという現実があった。高円宮杯プレミアリーグWESTでは6位に低迷。6チームが参加したJクラブユースの中では最下位という現実を突き付けられた。そして日本クラブユースでは屈辱の中国地区予選での敗退。歴史と伝統を積み上げてきた広島ユースの看板が揺らいだ年のキャプテンが荒木だったのだ。

「上の世代は勝って当たり前。でも、自分たちの代になると、なかなか勝てない状況が続いていたんです。それはきっと、自分たちを過信していたんだと思います。俺たちは広島ユースだし、今までの伝統がきっと自分たちにも備わっているんじゃないかって。大丈夫、何やかんや勝てるんじゃないか。そんなことを考えていたのではと思います」

荒木は決して、自信満々で広島ユースにやってきたわけではない。

G大阪門真ジュニアユースでFWからDFにコンバートされ、このポジションの面白さを理解しつつ、自分のストロングを出せる喜びを味わっていた。しかしユース昇格の話は、なかなか出ない。そんな時、広島からの誘いを受けた。楽しかったし魅力的に映った。G大阪ユースへの昇格が消えたこともあり、荒木は迷わず、広島を選択した。

だが練習初日、学年対抗マッチが行われた時、彼は衝撃を受けた。何もできない。レベルが違う。次元が違う。野津田を中心とした3年生チームに「ボッコボコにされた」(荒木)。自信は木っ端微塵に消し飛んだ。ただ、確かに自信は失ったが、目標まで見失うことはなかった。

プロになりたい。

G大阪の育成組織でプレーするうちに芽生えた人生の目標は、難しい状況が続いた広島ユースでも、消えることはなかった。

「僕は短期的な目標と長期的に目指すものとを明確にして、当時から過ごしていたと記憶しています」

彼の言葉を聞いた時、自分の高校時代と比べてみた。確かに「大学受験」という目標はあったが、そこから先で目指す明確なものは何もなかった。大学に入れればいいという感覚だったから、目標を達成した時、自分には何もなくなった。ワンダーフォーゲル部の活動に熱中したが、だからといって「山で暮らす」ことを考えたわけではない。目標が見えないから授業にも出なくなり、自堕落な暮らしの中で1年半も留年した。その時の経験が全く役に立っていないとは思わない。しかし、もし自分が長期的な目標をしっかりと持ち、そこに向かって歩いていれば、もっと豊かな人生になったのではと思う。もしタイムマシンがあったなら当時に戻り、とりあえずは授業にしっかりと出ることから始めたい。

荒木は目の前で野津田や川辺、宮原のような才能を見せ付けられても、ひるむことはなかった。自分の成し遂げるべき道を見据え、長期の目標に向けて「今、やるべきこと」を設定し、それを短期の目標に据えた。

「近い目標を達成すれば、また一つ上の目標が見えてくる。それを達成したらまた上の目標。そうやっていけば、少しずつステップアップしていける。少しずつ目標を上げていくことによって、日々のモチベーションも高くなる。目標を掲げることによってメンタルも頭もしっかり働き、何をしなければいけないのかがすごく整理されるんです。大きな目標から小さな目標へと落とし込む。そうすれば、踏んでいかなければいけないステップを、自分で見極められる」

社会人になってからビジネス本や自己啓発本でよく読む言葉である。そういうことを高校生の時から考えていたことが驚きではあるが、考えるだけであれば、意外とできる。問題は行動が伴うかどうか、だ。

「自分で、決めていることがあるんです」  荒木の言葉を聞こう。  「目標を達成するために、今頑張ることを心がける。昨日は頑張ったから今日はいいや、と言ってもダメだし、まして明日から頑張ろう、後で頑張ろうという言葉を使ったら絶対にダメだと思っているんです。今、頑張ること。これができたら、必ず将来、未来はうまくいくと信じていました」  明日ではなく、今を頑張ること。昨日頑張ったことを、今日も続けること。

なるほど。

だが、言うは易し、だ。できないことだって、ある。妥協したくなることもある。人間だもの。まして、高校生なら、なおさらだ。

「自分は弱い人間です」

え?

「弱いんです、僕は。妥協したいっていう心も出てくる。そういう自分も自分なんだって受け入れる。少しでいいから、自分にできることをやる。そこだけ、意識しています」

なるほど。

「できない時も絶対にある。その時はもう、受け止めるしかない。できなかったと言って自分を追い込むのではなく、自分なんてこんなものだって考えるようにしているんです」

ただ、荒木は決して、そのままズルズルと落ちていかない。

「今度こそ、少なくともここまではやろう」

もちろん、不安はある。

例えば、打ちのめされた広島ユース時代、本当にプロになれるのか、確固たる自信はなかった。高校時代にプロからのオファーはなく、トップ昇格も無理。関西大学への進学が決まった後も、卒業したら絶対にプロになれるという確証もない。

サンフレッチェ広島にプロとして戻ってきたいという気持ちは強かったが、そのレベルに達することができるのかどうか。頑張っても、J2のレベルではないのか。

それでも彼は諦めなかった。広島ユースを卒業する時、「4年後は絶対に」と心に決めた。ここまでは、多くの選手たちが考える。彼の凄さは、そこに向かって目標を立て、実行していく継続力だ。それが晩成型の荒木にとって最大の、そして最高の武器。この武器を自覚的にか無自覚かわからないが、彼はずっと活かし続けた。だからこそ、彼は大学でその能力を開花させることができたのだ。

 

達成した目標に酔わず、ただひたすらに、次へ

関西大学に進学した荒木は、すぐにポジションをつかんだ。関西学生リーグでは17試合出場2得点。関西大学リーグのベストルーキーにも選ばれた。そして2年生の時、彼が大きな自信をつかんだ試合に遭遇する。8月27日、天皇杯・清水エスパルス戦である。

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