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【PRIDE OF HIROSHIMA】鮎川峻/努力する才能

イアン・ソープというオーストラリアのスイマーを、覚えている人も多いだろう。

2000年のアテネ五輪で水泳400m自由形とリレー2種目で金メダル。4年後のソウル五輪では200・400m自由形で金メダル。世界水泳を合わせると、16個の金メダルを獲得した水泳界の大天才である。特にソウル五輪での100m(銅)・200m(金)・400m(金)の同じメダル獲得を達成したのは、彼が初めてだった。表面的には誰がどう考えても「才能」の一言に尽きる。

そんな天才が発した言葉がある。

「スポーツは、まさに人生そのものだ。努力した分だけ、自分に返ってくる。僕は努力の天才になりたい」

少年時代は塩素アレルギーを抱え、飛び込んでお腹を打って真っ赤にし、ノーズクリップをつけて顔を水面から出して泳いでいたという事実がある。

10代の頃からうつ病を患っていたことも告白している。

才能だけで偉業を達成できるはずもない。全ては努力の賜物だと彼は言う。それは、少年時代から様々なものと戦い、葛藤し、そして努力を積み重ねてきた。それでもなお、彼は「努力の天才になりたい」と言う。

成功者で、努力をしていない人など、いない。それは経営者も芸術家も、職人も料理人も、みんな同じ。ただわかりやすいのは、やはりスポーツ選手だ。

たとえば佐藤寿人は、自らのステップワークを磨くために少年時代からラダーを購入して常にトレーニングを重ねた。自身のプレーイメージを確立させるためにゴールシーンの映像を何度も何度も見て、それをトレーニングでも実践した。2013年の鳥栖戦で見せたスーパーゴールは、1993年のワールドカップ1次予選タイ戦で三浦知良が決めたゴールからインスパイアされたもので、そんなことができるのは努力以外の何者でもない。

たとえば森﨑浩司に「どうしてそんなにキックが上手いのか」と聞いたことがある。答えは「広島ユース時代の練習にルーツがある」と。特別なことではない。駒野友一と2人で、ずっとロングボールを蹴り合っていたトレーニングだ、というのだ。ただ、2人はそのシンプルな練習をずっとずっと、やり続けた。どれだけ正確に、相手の位置を動かさずにパスを送れるかをずっと、競っていた。それが2人のキック技術を向上させた要因だったのだ。

サッカー界では、特にヨーロッパの指導者が「居残り練習禁止」を掲げる場合が多い。トレーニングは科学的にコントロールされていて、それ以上の練習量は「プラシーボ効果」(偽の薬でも症状が改善してしまうような心理的効果)に過ぎないんだ、と。もちろん、普段のトレーニングに対して強烈な集中力を発揮して100%以上の力を注ぎこむことが前提となっていて、かつてある広島の選手も「チーム練習に全力を尽くしていれば、居残りなんてできる力は残っていない」と語ったこともある。練習は量よりも質。質の高いトレーニングをやり続ければ、量は問題ではない、と。

それはもちろん、一つの真実だろう。若い選手に対して「休息の大切さ」を説くことなく、やたらと厳しい練習量を課していくことが正しいことだとは思えない。それはケガのもとである。

だがミハイロ・ペトロヴィッチは約90分の厳しいトレーニングに高質な集中力を求める一方で、選手たちの自主的な居残り練習は許容していた。フィジカル的な練習もテクニカルなものも、彼は選手たちの自主性に任せた。

その雰囲気の中で成長したのが青山敏弘であり、槙野智章であり、森脇良太であり、柏木陽介や髙萩洋次郎たちだった。佐藤寿人や森﨑和幸、森﨑浩司らの実績組も、そういう広島の空気感の中で成長した。その空気はペトロヴィッチ以降も引き継がれ、たとえば森島司が居残りでキックを蹴りまくったことで技術が向上し、ブレイクを果たしたという実績もある。

ヨーロッパがこうだから、グアルディオラがこう言っているから。なるほど、彼らは正しいのかもしれない。しかし、日本でもこういう事例がある。特に槙野のキック精度の向上は、彼が不断に行ってきた居残り練習以外に要因は見つからない。

チーム練習を全力でやった上で、居残って最後までピッチの上に立ち自分を磨きあげることは、誰にでもできることではない。イアン・ソープの言うところの「努力の天才」、天才という表現が大袈裟であるならば「才能」と言ってもいい。そういう才能を持っている若者たちだけが、生き残る世界なのだ。

鮎川峻という若者に筆者が期待するのは、彼が自主性を持って練習に打ち込んでいるからだ。

練習が終わると自然に、彼は自分でボールを集め、自分でメニューを考えてボールを蹴る。池田誠剛フィジカルコーチとのマンツーマンでトレーニングを積み重ね、フィジカルについての指導を受ける。全て、やらされているわけではない。自分の意志で、そうやっている。

努力は他人に強要されても決して成果はあげない。

たとえばSIGMACLUBのカメラマンは16年前、全くのど素人の状態からスポーツ写真の世界に飛び込んだ。カメラもわからないなら、サッカーも知らない。何もかも無の状態。そこから彼女は、自分の意志で技術を学んだ。先輩カメラマンに対して、年上だろうが年下だろうが関係なく質問を浴びせ、実践し、わからないことを研究し、さらに質問する。いい写真が撮れなくても当たり前なのに「こんな写真ばかりじゃ、読者に申し訳ないだろう」などという理不尽な編集長の罵声にも耐え、彼女は努力を積み重ねた。だからこそ、今、なんとか読者にお見せしても恥ずかしくない写真が撮れるようになった。

成長は、全て自主的な努力の賜物。だからこそ、それができている鮎川峻は必ず成長すると信じている。

さて21日のトレーニング後、鮎川は城福監督に声を掛けられた。

「今はチャンスがないかもしれないが、我慢して続けろ」

こういう精神論的な言葉だろうなと思ったが、実際には違った。

「あれは、自分の特長を活かすための適正なポジションについて、監督の想いと自分の想いを意見交換したんです」

つまり指揮官は、FW以外のポジションでも彼を起用してみたいという気持ちを、伝えたのだ。彼がFWに対して強いこだわりを持っていると理解した上で。

「今年の日程とレギュレーションは特別なものがありますから」

城福監督の想いを聞こう。

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