【SIGMACLUB立ち読み版】株式会社サンフレッチェ広島 仙田信吾代表取締役社長/乗り越えられる試練
暗雲の来襲
何も悪いことなどしていないのに、どうして試練ばかりが降りかかるのか。
人生を歩いていれば、そんなことを感じることが多々ある。そういう時にどう振る舞うか。人間の価値とは、もしかしたらそういうところで、決まってしまうのかもしれない。
例えばコロナ禍である。誰かのせいであるはずもなく、「天災」といっていい。しかしその「天災」は、日本経済に計り知れないほどの打撃を与えた。4〜6月期のGDP下落は25%を超え、史上最悪。それを為政者の責任だと言う人もいるが、果たしてどんな政策だったら有効かと問うても、明確な答えは出るはずもない。
仙田信吾社長は就任1年目に、この「天災」と衝突した。就任直後から積極的に営業を仕掛け、特に開幕戦においてスタジアムをサポーターで埋めつくすことに心血を注いだ。
「(前職の時代から)私を可愛がってくださっているお客さま6社からサポートを頂き、開幕戦に向けてテレビスポットを打ちました。広島の民放テレビ4局合計で312本。その上で選手や城福浩監督にも協力を頂き、生放送の出演も増やしました。
私はいわゆるオールドメディアの出身です。テレビやラジオで仕事をしてきた人間です。今は広告宣伝といえばSNSが中心。TwitterやFacebook、YouTubeなどでの展開が主流の中、地上波出身の自分が地上波中心のキャンペーンに打って出ました。
その結果、約1万9000人のサポーターが開幕戦に来て下さった。来場理由のアンケートでも、このキャンペーンが功を奏したことは明確になったわけで、自分が今まで生きてきた道程が間違っていなかったという想いにもなれました」
しかし、その時にはもう、コロナ禍が日本の様々なところで悪魔のような爪痕を残し始めていた。開幕戦で鹿島を3ー0で圧倒した3日後、ホームで行われるJリーグYBCルヴァンカップ第2節を翌日に控え、選手もスタッフも準備に余念がなかったその日、有無を言わさぬ決定がJリーグから下された。
3月15日までの全公式戦が開催延期。2月25日に発表されたJリーグからのニュースリリースの一部を掲載する。
「スポーツには国民に活力を与える大きな力があり、重要な社会のインフラであると信じておりますし、Jリーグには豊かなスポーツ文化を振興していく責任があるとも感じています。これまでの公式戦は、多くのファン・サポーターの皆様のご協力のもと、大きなトラブルもなく無事に終えることができました。
しかし昨日開催された、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議にて「これから1〜2週間が急速な拡大に進むか、収束できるかの瀬戸際となります」との見解が発表されました。Jリーグは、感染予防対策および拡散防止のために最大限の協力をしていくことを検討し、2月26日~3月15日の約3週間に渡って公式試合を開催しないことを決断いたしました。3月18日に開催予定の2020明治安田生命Jリーグでの再開に向け準備を進めてまいります」
実はそれまでも、新型コロナウイルスの感染拡大の様相が見えてきたということで、大型イベントの開催については様々な意見が飛び交っていた。だがJリーグはルヴァンカップとリーグ戦の開幕戦を予定どおりに開催し、大きなクラスタ(集団感染)を発生させることもなかった。
しかし、政府からの「ここからの1〜2週間が急速な拡大に進むか、収束できるかの瀬戸際」というメッセージは強力。Jリーグとしては、少し余裕をもたせての「3週間」という試合中断を決断せざるを得なかった。
「ルヴァンカップ開幕の横浜FC戦の頃から、私は選手たちとの握手は控えていました。もちろん、感染拡大を防ぐための予防線です。2月23日の開幕戦での盛り上がりを見て、いけると実感しました。しかし、その3日後に延期の決定が下ったんです」
Jリーグ実行委員会で仙田社長は、こう主張した。
「我々は屋外のイベントではないですか。十分な感染症対策防止策を講じて、開催の方法を模索するべき。我々よりもまず先に考えないといけないのは首都圏の満員電車や屋内イベントなどではないですか?」
しかし、決定は覆らない。延期はもう動かしようがなかった。
その後、Jリーグはプロ野球と連絡会議を立ち上げ、足並みを揃えてコロナ禍に立ち向かうことになった。このことはエンターテインメント事業におけるコロナ対策の好例として評価されている。そこは「村井満チェアマンをはじめとするJリーグのリーダーシップ」と仙田社長は振り返る。
ただ、延期が決まった時に「本当に3月18日からの再開ができるのか」という確信は正直、持てなかった。
「やめる時より再開する時の方が決断としてはしんどいはず。より慎重にならないといけない。Jリーグが先頭を切りましたが、その後にいろんなイベント事業が中止になった。その中でJリーグが最初に旗を振って再開できるのか、そこは科学的な根拠も必要ですからね」
実は2月25日段階でのPCR検査陽性者数は全国で累計149名、死者は1名のみ。しかし一方で、横浜に寄港したダイヤモンド・プリンセス号でクラスタが発生したことで、日本中の関心がこの新しいウイルスに注目し始めていた頃でもあった。
中国・武漢で発生した新ウイルスは1000万都市・武漢を中国政府が封鎖する事態になり、感染者が突然倒れて死ぬというデマの映像まで流されたこともあって、ウイルスの実際よりも大きな恐怖のイメージが蔓延しつつあった。
3月に入って陽性者は毎日50名前後、増えていた。ただ当時は発熱や咳などが発症して4日ほど続いた患者だけを検査する方法。今のように無症状でも検査する形であったとしたらその数倍、陽性者は増えていただろう。収束の気配はなく、死者も3月14日の段階で累計20名を超えた。3月18日の再開は立ち消えとなり、次は4月5日が再開日となった。
3月中旬の段階で陽性反応者の増え方も頭打ちになり、重症者も死者数も予想よりは伸びなかった。ところが3月下旬、感染が爆発。3月27日には新規陽性者が100人を超え、そこからも減る機運もない。既にイタリアでは3月11日に1万人を超える感染症例が出て、累計で827人が死亡。医療崩壊に陥ったこともあり患者も死者も、それこそ指数関数的に増幅した。イタリアだけでなく、フランスやスペイン、イギリスにも広がり、ヨーロッパがパニックに陥っていた。
日本はそこまでの状況ではなかったが、不気味な広がり方を示していたことは事実。とてもJリーグを再開できる雰囲気はなく、またも開催延期。そして今度は「再開日は未定」となった。Jリーグが正式に再々延期を決めた4日後の4月7日、安倍晋三首相は緊急事態宣言を発令。当初は東京都など7都府県に限られたが、すぐに全国へと波及した。
もはやスポーツだけではない。日本の経済そのものがストップしてしまったに等しい状況となった。「STAY HOME」が叫ばれ、旅行どころか外食も憚られる。スポーツだけでなく音楽や演劇も、全てのエンターテインメント事業が自粛され、「密閉・密集・密接」の三密とは縁遠いキャンプ場も閉鎖された。
手紙が繋いだもの
厳しく、全く経験したことのない試練。自分たちの力ではどうしようもない状況に思われた。多くの選手やスタッフの生活を抱える中で、経営者に何ができるのか。営業にも伺えない。お客さんに来てくださいと働きかけることもできない。最大の商品である「試合」を奪われ、手足をもがれた状況。
しかし、仙田社長は腹をくくっていた。
「私が社長として初めて迎えた開幕戦で素晴らしい体験をさせて頂いた。あの難敵・鹿島アントラーズに3対0で勝った。我々のマーケティングが成功して、昨年の開幕戦対比で約5000人も増えた、1万9000人近いお客さまに来て頂いた。その感激と感謝がずっと続いていたからこそ、(自粛期間の)4ヶ月半を頑張り通せた。宝のような、あの2月23日の思い出だけで生きていた。そんな感覚すらありますね。
サンフレッチェ広島というこれほどの知名度のあるブランドを持つ会社の社長に就任させていただいたことに対して、私はご恩を感じているんです。その恩に対して、自分は何ができるか。持っている経験と体力・気力、全てを合わせてお返ししたい」
緊急事態宣言が発令され、広島はチームとしての活動をとりやめた。選手たちは自宅でコンディションを整えることしかできなくなり、外食も控えなければならなくなった。シーズン再開がいつになるかも見えない中で、選手たちの心身にわたるコンディション維持も難しい状況になった。
ただそこについては、城福浩監督以下のチームスタッフ、足立修強化部長以下の強化部スタッフに社長は全幅の信頼を置いていた。彼らならきっと大丈夫。やってくれる。では、フロントはどうするべきか。
考えたのは、サンフレッチェ広島が「公器」であるというポイントだ。確かに株式会社であり、民間企業でもある。しかし、プロサッカークラブは社会に支えられ、社会的存在として認められているから、存在意義がある。だからこそ、サンフレッチェ広島はこういう時にメッセージを発しなければならない。
感染防止策の励行、「STAY HOME」の呼びかけなどを含め、SNSを通して感染症予防に対するメッセージを発信した。さらに、今回の感染症において大きな打撃を受けた飲食店をサポートしようと、テイクアウトサービスなどの情報発信にむけてサイトも立ち上げた。感染症に苦しむ社会に向けて、サンフレッチェ広島に何ができるか。そこに向けて注力したのだ。
5月13日、まだ緊急事態宣言が発令中の中、サンフレッチェ広島は一つの行動に出た。重症患者受け入れ施設であり、感染症の最前線で戦っていた医療機関の一つ、広島大学病院を城福監督や佐々木翔主将ら、6人の監督・選手が訪問。もちろん施設の中には入れないが、中庭に立って病院施設に向かい感謝のメッセージを掲げながら手を振ったのだ。
「こういう行為にどんな意味を感じて頂けるのだろうか」
不安はあったという。しかし、監督・選手が手を振る視線の先には、窓際に多くのドクターや看護師のみなさんが立ってくれていた。クラブの意志を歓迎してくれたのだ。
この時、記者は同行して取材をしていた。双眼鏡でのぞいてみる。笑顔だった。ずっとずっと、笑顔だった。あまりの歓迎ぶりに、予定時間をオーバーしてみんな、手を振り続けた。木内良明病院長は「今回のエールは職員の励みになり、終息まで社会全体で頑張ろうというメッセージにもなったと思います」と感謝の言葉を贈ってくれた。
「そうか、サンフレッチェって、そういう存在なんだ」
仙田社長は認識を新たにしたという。サンフレッチェ広島とは社会的存在であり、地域にとっての憧れ、そして財産。だからこそ、こういう行為に対して感謝をして頂ける。
その財産を、しっかりと守り抜かねばならない。では、何ができるか。年間指定席やシーズンパスで入金して頂いたものを返納しないといけない。試合がないから現金収入も極端に減少する。広告主からの減額や支援打ち切りの求めもあるかもしれない。
クラブ始まって以来の危機。どうすればいいか。収入を確保しようにも、対面営業もできない。しかし、ここで諦めてしまっては、多くの社員や選手たちの生活にも関わる。
「アイディアは一つしか、ありませんでした」
それは手紙だった。メールではなく直筆の手紙を書き、面識のある企業トップに加えてコロナ禍で挨拶ができていないお得意様にも送ったのだ。
「僕に手紙を書くことを教えてくれたのは、3年半前に亡くなった母親なんです。彼女は上下町(現広島県府中市)の雛祭り実行委員会の初代実行委員長。今は著名なイベントになっていますが、最初はもちろんそうではない。実は母親は最初の頃、テレビ各局に対して直筆の手紙を書いて送っていたんですよ。私が手紙を書いた時はそれを意識していたわけではなかったんですが、その事実を最近思い出させてくれた人がいたんです。
DNAが繋がっているというか、人の歴史は全てが繋がっている。難しい局面を乗り越えようとした時、瞬発力で戦えるわけではなくて、誰かの想いに支えられている」
どんな人でもメールは日々、たくさん送られてくる。特に企業トップになると、その数は半端ではなく、ダイレクトメールなどは開封すらしない場合もあるという。しかし手紙であれば、とりあえず封をあけ、中身は確認する。仙田社長は、そこにかけた。
「僕自身には何の能力もない。サッカーに詳しいわけでもない。創業経営者のような力とか、実績を持っているわけでもない。でも、いろんな人にお会いして話を聞き、力を与えて頂いて、何とかやってきた。それができなくなった苦しさ。そこで自分に何ができるか。行き詰まっていた私にとって、やるべきことは手紙しかなかったですね」
効果は抜群だった。「サンフレッチェ広島を見捨てることは絶対にしない」と返信を頂けた。直々に電話を頂き、「手紙に感動した。自分たちも大変だけど、絶対にサンフレッチェを支えるから」という言葉ももらった。いずれも超大手企業のトップからだった。
その反響の一つに、株式会社村上農園・村上清貴社長からのものがある。えんどう豆の若葉で栄養価の高い豆苗生産の国内シェアトップを誇る企業。売上高は100億円を超える地場の優良企業である。
実は村上農園はかつて、かいわれ大根の生産が主たる事業だった。しかし1996年、Oー157による集団食中毒が発生し、その主たる要因としてかいわれ大根が指摘されるという事件が勃発する。後にかいわれ大根と食中毒は無関係だったと判明し、風評被害だったことが明白になるのだが、経営に対する影響は甚大。売上は4分の1に激減する事態となった。その経営危機を乗り越えるべく力を入れたのが豆苗の栽培。村上社長を中心に新しい野菜の生産・販売に全力を傾けたことで、村上農園は未曾有の危機を乗り越えた。そういう歴史を抱えている企業である。
村上社長は仙田社長からの手紙を受けとり、電話をかけた。
「仙田さん、手紙を読みました。大変ですね。私たちにできることは、やらせて欲しい。何をしたらいいですか」
「社長、ありがとうございます。明日、飛んでいきます」
山田誠事業本部長と共に営業企画を準備し、村上社長にプレゼンテーション。終わった後、社長は下をむいていたという。不安が仙田社長の脳裏をかすめた。
「仙田さん、この金額でできるプランをつくってください」
村上社長が口にした金額は、仙田社長や山田本部長の予想を遙かに上回った。6月2日、サンフレッチェ広島と株式会社村上農園は「クラブトップパートナー契約」を締結。この件について、村上農園のホームページにある村上社長のコメントを引用しよう。
「今シーズンは新型コロナウイルスの影響で、Jリーグの公式戦再開の目処が立たない状況が続いていました。1日でも早いJリーグ再開への願いと、サンフレッチェ広島の力で地元広島に活力を与えてほしいという思いから、この度パートナー契約を締結させていただきました」
こんなことがあるんだなあ。
仙田社長の正直な想いだった。5月25日に緊急事態宣言が解除されたとはいえ、日本経済のマインドは相当に落ち込んでいる。前述したように、4〜6月期の国内GDPは約25%も落ち込み、史上最大の下げ幅。この時期に、新しい契約を結ぶことができるとは。
「こういうことは実は幾つもあるんです。私どもの広告収入は、このコロナ禍の中、1月以降を含めて(昨年比)5%近く伸びています。他のクラブのことはよくわかりませんが、この経済状況を考えたら、本当にありがたい。一つの大きな支えなんです」
試練は何度も。それでも立ち向かう
そしてもう一つ、仙田社長が感謝しているのは、サポーターの寄付行為に対してだ。
シーズン再開が決まっても、当初は無観客試合。その後も、入場者は5000人に限られるという事態が続くことになり、クラブは年間指定席やシーズンパスを購入したサポーターに返金せざるを得ない状況。
だが、そこでクラブはサポーターに経営危機を訴えた上で、払い戻しの権利を返上して寄付して頂けませんかとお願いした。公式サイトだけでなく中国新聞に全ページ広告を掲載し、仙田社長の直筆メッセージで訴えた。
「これは、顔から火が出るような恥ずかしい話ですよ。普通、どこにそんな企業があるでしょう。でも、そういうメッセージを出したらなんと、6割の方が寄付してくださったんです。考えられないこと。
もうありがたくて、ありがたくて、ありがたくて。小耳に挟んだ話ではJリーグの平均よりもはるかに上の数字だそうです。クラブへの同情も含めたご理解というか、共感共鳴と言いますか……。本当に、愛を感じました」
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