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【PRIDE OF HIROSHIMA】野津田岳人/監督との会話にチャレンジした事実

昨日のトレーニングでも、野津田岳人は居残りでボールを蹴っていた。

小さなゴールネットを二つ置き、何度も何度も、シュートを打ち続けた。

昨日だけではない。彼はずっと、続けている。

試合に出れなくても、メンバーに絡めなくても、ずっとボールを蹴り続けている。メニューは違っても、やり方を変えても。

認められていないのに、努力する。

それは決して、誰にでもできることではない。

普通は、腐る。

誰が見てくれているか、わからないから、どんな時も腐ってはダメだ。

よくそう言われるし、実際にその通りだとは思う。しかし、実践できる人は少ない。

腐らないということがどれほど難しいか、それはきっと、そういう立場にならないとわからない。

筆者にも実は、腐りかけた時がある。

リクルートという会社に入り、仕事が全くできず、周りからは「ゴミ」とか「厄介者」とか言われていた。

就職情報営業課から追い出されるように制作課に異動した後も、仕事がきっちりと出来ない。

今、思えば、ほとんどきちんと教わることなくOJTで学ぶだけなのだから、最初は失敗して当然。

グラフィックのことも、本の編集も、雑誌の構造すら知らないのだから、わからなくて当然。

しかし、仕事の内容から「できて当然」と思われ、ミスをするとこっぴどく叱られる。

毎日毎日、ただ罵倒されるためだけに、会社に通っていた。

「パワーハラスメント」などとは、当時も今も思わない。叱るという行為はエネルギーが必要だし、仕事ができない自分が悪いと思っていた。

だが、その一方で、会社に行く度に憂鬱になっていた。

仕事ができない自分に、誰からも声がかからない。

食事も、1人。夜も、1人。

自分のことを認めてくれない人たちに対して、普通のことを話すことも怖くなる。

孤独が自分の心を支配した。

ただ、憂鬱になる度に思ったのは、「まず、仕事ができるようになろう」ということ。

「どうせ俺は……」と腐りかけたことも、会社に行きたくなくなったことも、1度や2度ではない。

だけど一方で、明らかに仕事ができない自分自身に、悔しさを感じていた。

とにかくできるようになりたい一心で、仕事を工夫しようと思った。

誰にも相談しない。相談したところで、まともに相手にはされないと思ったから、自分なりの方法でのまずはミスをしないように、やり方を工夫した。

1年、かかった。ミスをしないようになるまで、いやミスはあったから、人並みになるまでと言い替えよう。

とにかく、時間はかかった。

今思えば、周りにもっと、相談すればよかったと思う。

わからないものはわからないし、経験は周りの方があるのだから、もっともっと、自分の苦しさを伝えていれば、もっと早く戦力になれたのではないか。

確かに自分で苦しんで、自分で見つけたことは、身体と頭脳に強く刻まれる。しかし、それは時間がかかりすぎるし、正解かどうかもわからない。

自分に足りないところがあるからミスは起きるのに、その足りないところを自分だけで見つめるのは、非効率だったと今なら思える。

野津田は、当時の自分とは違って、遙かに、仕事はやれている。しかし、明確な結果を出したとはいえず、ずっとメンバー外。

間違いなく、自分自身の能力に対して自負はあるだろうし、だからこそプロ選手になった。

「自分はできないんだ」と思い込んでいた当時の自分と違い、「どうして使ってくれないんだ」という思考回路になりがちだと思う。

プロ選手というのは強烈な自我の持ち主であり、だからこそ思いと違う状況になると、腐りやすい。

野津田の思考も、決して例外ではないだろうとは思う。だからこそ、腐らないということ、続けているという事実が素晴らしい。

そして彼の精神性に感動したのは10月9日、清水戦前日に城福浩監督に直接、対話を申し込んだことだ。

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