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【PRIDE OF HIROSHIMA】松本大弥/成長する才能

途中出場・途中交代は、サッカー選手にとって屈辱の一つ。悔しさは最大かもしれない。

つまりは、「入れてみたけれど、役に立っていなかった」という評価の証明のように思えるからだ。

実はそうではなく、監督からすれば戦術的な理由の場合があるが、多くの選手たちはそう感じない。

監督からすれば、ただただ勝つための選択。たとえ途中出場の選手であっても勝つためだと判断すれば、交代させて当然。

烙印を押された。

俺はダメだったと思われている。

監督からどんな説明を受けたとしても、もやもやは消えない。

たとえ戦術的な理由だったとしても、自分が代えられるコマに選択されたという事実は消えないからだ。

まして松本大弥の場合、途中出場・途中交代を命じられたアウェイ・横浜FM戦で、自分自身が「何もできなかった」という自覚があった。

たとえ点をとりにいくための采配だったとしても、そう素直に考えられるほどのプレーではなかった。

打ちのめされた。

これまで松本の心には「やれる」という自信しかなかった。だが、横浜FM戦で初めて、サッカーで打ちのめされた。

そのショックの大きさは、練習でのパフォーマンスにも影響する。

今までの堂々とした、スケールの大きなプレーが影を潜め、縮こまった感じに見えた。

そして彼は、メンバー選考の境界線から1度、消えた。

だが、そのまま黙って落ちていってしまうほど、ヤワではない。

松本大弥の最大の特徴は、自身を成長させる才能を持っていることだ。

「成長」のために何が必要か。

このテーマについて体系的に学んだわけではないので経験値でしか書けないが、今まで見てきた多くの「成長者」たちは、ネガティブな状況にあったとしても、そこから反発するバネを持っている。ネガティブをポジティブに変えることができる。

例えば、ストッパーをやられさて狙い撃ちされた経験を持つ森﨑和幸。例えば、何度も何度もケガに泣かされた青山敏弘。

広島の歴史をつくった大立者たちは、いずれも史上に残る「成長者」たちであり、ネガティブをポジティブに変えるために努力を重ねられる才能を持っていた。

松本大弥は、どうして自分が横浜FM戦で何もできなかったかを考えた。

答えはシンプル。身体が動かなかったからだ。

そもそも彼は、繊細な技術で勝負する選手ではない。

恵まれた体躯を活かしたパワーと運動量が大きな特徴だ。なのに、横浜FM戦では動けなかった。

だからまず、彼は走ることから始めた。

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