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敗戦と15年前のオシムと望月一頼と/広島0-1湘南

試合が終わった時、ある人物の言葉が脳裏によぎった。

その人物とは、イビツァ・オシム。偉大という言葉だけでは片付けられないほどの大人物であり、ミハイロ・ペトロヴィッチに大きな影響を与えたというだけでも、広島にとっても重要な監督だ。

彼がジェフユナイテッド市原・千葉を率いていた2006年4月26日、広島はオシムのチームと対戦した。ナビスコカップ(現ルヴァンカップ)のグループステージだ。

この年の広島は開幕から絶不調。リーグ・カップも含めてここまで1試合も勝てず(リーグ4分5敗、カップ1分1敗)、泥沼の状況に小野剛監督しは退任し、望月一頼GKコーチが監督に昇格して指揮をとっていた。この千葉戦は望月監督にとって公式戦2試合目の采配となる。

試合は立ち上がりから一方的に千葉に叩かれ、あっという間に4失点。後に広島へ移籍を果たすストヤノフや水本裕貴、結城耕造、楽山孝志が先発し、中島浩司や山岸智、工藤浩平がベンチに座っていたチームは、当時の広島にとっては全くステージの違う存在に見えた。

だが後半、佐藤寿人とウェズレイの2トップを交代させるなど大胆な采配をふるった望月監督の広島は、盛り返した。48分に盛田剛平、61分は森﨑浩司、86分にはまたも盛田剛平。森﨑浩司が全得点に絡んだ活躍もあり、広島はあと一歩まで千葉を追い詰めた。前半7本のシュートを放った千葉は後半は0本。もちろん、後半開始早々に結城が退場したことも大きいが、 1人少なくなったからといって4点差が1点差まで詰まることはなかなかない。望月監督は「千葉は後半、サッカーをやめてしまった」と表現したが、この試合を表現するに適切な言葉だった。

さて、イビツァ・オシムである。

彼はゆったりと広島スタジアム(現コカコーラウエスト広島スタジアム)の記者会見室に現れると、独特のリズムで言葉を発し始めた。


 アメリカがもし囲まれた国で、何も情報がわからなければ、私たちはアメリカの中で何が起こっているのか知ることができない。

 しかし、今日の試合は、囲まれていない。誰もが見ていた。だから、私がコメントすることはない。

 皆さんも見えていましたよね?起こったことが、すべてだ。

 残念なのは、結果が最後にひっくり返らなかったことだ。ウチの選手にとって、あのようなプレーの内容では、むしろ逆転された方がよかった。

 選手たちには言うべきことは言ったし、それはここで話すこととは別だが。

 サッカーというのは、とても難しいスポーツ。一つのいい学校のようなものだと思ってほしい。サッカーという学校を卒業すれば、すばらしい人生だと思う。


いったい監督は、何を言っているのか。

意味がよく理解できないまま、記者たちの質問が始まった。

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