SIGMACLUBweb

【熊本キャンプ】永井龍/引退への不安を吹き飛ばしてくれた広島

もう、俺はダメかもしれない。引退。そうなってなってしまうのかもしれない。

痛みがひかない足首を見つめて、永井龍はこんな想いが初めて頭の中をよぎった。2021年の夏の頃だったという。

FWというのは、その年がダメでも次の年には爆発してやると思える特別なポジション。きっかけ次第で状況を変えられると思っていた。プロになって12年間、苦しい時もありましたが、それでも“次の年はやってやる”と思えたんです。でも去年は、違いました。毎日のトレーニングが苦しいし、その厳しさに耐えられる足ではなかった。良くなっては悪くなり、リハビリしていい感じになったなと思っても、その後に悪くなった」

思えば、永井龍の苦しみは、大きな手応えを感じた直後に生まれた。「好事魔多し」とは、まさにこのことだ。

2020年9月23日、アウェイ大分戦で永井は、約1ヶ月半ぶりのベンチ入りを果たした。しかも広島移籍後二度目となる先発。正直、唐突感は否めない起用だった。

「やりたいサッカーを表現するために、彼を使う」

試合前、城福監督はそう語った。そして、永井に与えたミッションは前線からの猛烈な走りだった。

永井は走った。とにかく走った。後ろがついてこなくても、連動できていなくてもいい。力の限り、彼は走った。63分に交代するまで、スプリント回数は22回。90分プレーした他のどの選手たちよりも多かった。

連動性がなかったが故に、有効な攻撃には繋がってはいなかった。だが、彼の猛然とした、噛みつかんばかりの気迫に満ちた走りは、大分の得意とするビルドアップを封殺する。彼らは永井が交代する直前の62分まで、シュートは1本も打てなかった。

「自分が出ている意味というか、違いを絶対に出したかったし、自分にしかできないプレーを出さないといけないと思って試合に入った。献身性にプラスして、ゴールも決める。そこでチームを助けようと思っていました」とは、当時の彼のコメント。ここまでゴールを決めることができず、試合にもほとんど絡めなかった永井にとって、この試合は1つのきっかけとなった。

そして、10月3日の対鳥栖戦。この試合で筆者は、TSSサンフレッチェ広島公式スマホサイトで、こんなレビューを書いている。引用しよう。


 城福監督は永井に再び、前線を託した。それはただ、前からの守備に期待しただけではない。鳥栖のハイラインの裏に広がるスペースを、彼の飛び出しによって突く。それでゴールになれば最高だし、永井の飛び出しの結果としてラインが下がれば、それでいい。
狙いは最高の形となって現れた。
永井は今回も、走った。前半だけでスプリントは21回。前に行くだけでなくプレスバックも献身的で、かわされても外されてもボールを追った。
ただ、ここまでは大分戦と同じ。でも鳥栖戦ではボールを持った時に「裏」ではなく、サイドチェンジなどで一手間かけた。ポゼッションを狙う相手に対して永井を中心にしてプレスをかけ、パスコースを限定させて論理的にボールを奪った後、しっかりとクオリティを見せる。そのコンセプトが明快だったから、相手陣内でのサッカーが現実味を帯びた。前半から青山も高い位置に張り出し、プレスの先頭に立つ姿もあった。

 圧倒的な圧力。森島司や東俊希の決定的なシュートもあった。ただ、G大阪戦はペースを握り掛けたところでプレスが緩み、失点してしまった。そのテツは踏まないと、選手は全開で圧力を掛け続けた。ベンチに流れを変えられる選手がいるという認識が、彼らに全力を発揮させてきた。
20分、ずっと相手陣内に押し込んだ中で、広島がCKをとる。ショート。青山のクロス。クリア。そこからつくりなおす。荒木が落とし、青山がクロス。野上結貴。ヘッドのこぼれをキープしようとした小屋松。浅野がプレス。思わず蹴るも、ミス。そこに野上がポジションをとった。浅野が走る。そこにパス。PA内。カットイン。左足を振った。
そこしかないというコース。さすがの左足。浅野はドリブラーではなくシューターだと主張してきたが、まさに彼の真骨頂。迫力のある攻撃と圧力をゴールという形に直結したことは大きい。

 「あれは我々の狙いどおり」と城福監督が胸を張った東俊希のJ初得点も起点は川辺駿の圧力からスタート。青山敏弘の素晴らしいゴールも、森島司のGKへのプレッシャーから相手に蹴らせ、茶島雄介がボールを奪ったところからCKをとっている。城福監督が狙いとしていた「相手陣内でプレーする」という大前提が見事に結実した試合だったと言える。
このサッカーがこれからは広島にとって、指針となるだろう。レアンドロ・ペレイラにもドウグラス・ヴィエイラにも、前からのプレッシャーを求めることになるはずだし、それができないのであれば、ベンチスタートを余儀なくされることになる。大分戦は奪った後の攻撃に課題を残したが、鳥栖戦はそこもよくなった。もちろん、相手が中2日だったことは割り引かないといけないが、鳥栖の金明輝監督は「メンバーも(連戦を考えて)人選しているので、言い訳にはならない」と語っている言葉を素直に受け取ろう。
もちろん、毎試合うまくいくわけではない。難しい状況も出てくるだろう。しかし、80分で31回のスプリントを記録した永井龍の頑張りが、チーム全体として176回のスプリントを生みだしたように、走ることがチーム全体に浸透すれば大崩れはあるまい。


鳥栖の金監督(当時)が試合後、「力の差」と語ったほどの差を見せ付けた鳥栖戦は、青山敏弘が「あれば広島のサッカー。永井が示してくれた」と語ったほどのパフォーマンスだった。これで城福監督の考える広島サッカーは完成に向かうと考えた。

だが、翌週の対清水戦での接触プレーで永井は右足首を負傷。途中交代を余儀なくされた。とはいえ、ドクターの診断結果は「骨には異常もなく、軽傷」。10月28日の対横浜FM戦では途中出場し、PKで得点も決めた。

もう大丈夫。そう考えた。

だが、復帰後の彼からは、鳥栖戦や大分戦で見られた迫力に満ちたスプリントは見られなかった。メディカル的には大丈夫だと言われても、足の痛みはひいていない。「付き合っていくしかない」と考えても、痛みは間違いなくプレーに影響した。

「実際は復帰しても不安が残っていた。自分では“大丈夫”と周りには言っていたが、そう言うしかなかった」

昨年のキャンプ、トレーニングマッチで毎試合、得点を記録していた。今年の永井はやってくれる。そんな期待を周囲は抱いたが、彼自身はそんなことは考えていなかった。時間と共に足は痛くなる。

いつ、離脱するか。だが、試合では点がとれているから、もうちょっとやってみようか。

「俺は、何をやっているんだ」

そんな想いに囚われた永井は、城福監督に「完治するまで、別メニューでやらせてください」と申し出た。その方がチームのためにも自分のためにもいいという判断だった。

だが、状態は一進一退を繰り返す。戦線に復帰し、慎重にトレーニングも重ねた。だが痛みは、どうしても引かないし、その要因もわからない。

そして5月15日対徳島戦、2021年シーズン初となるリーグ戦先発の座を勝ち取るも、ふくらはぎを痛めて開始6分で交代を余儀なくされた。足首の痛みを自分でだましながらプレーし続けたことで、他の部位に負担がかかってしまったことが要因と言えた。

そして彼はそのまま、サッカーができなくなった。

「引退も、あるのかなあ」

頭の中にふと、よぎった思い。C大阪時代の2o15年8月29日、天皇杯の対FC大阪戦での接触プレーで腎臓を損傷し、生死の境目をさまよった時ですら、「元気になったらサッカーをやるんだ」と思っていた。だが昨年の夏は、もうそういう想いにはなれなかった。

事実として、全くサッカーができていないし、痛みの原因もわからない中で先も見えない。

「しんどいリハビリにしても、何のためにやっているのか。ゴールが見えないトレーニングは、本当にきつかった」

希望が見えない日々。もう俺は、サッカーの世界には戻れないのか。

「正直、心は折れていた」

そんな心境になった時、永井は佐々木翔と言葉をかわした。

「ショウくん、俺、初めて“引退”という言葉が、頭をよぎったんですよ」

決して、深刻な雰囲気を醸し出していたわけではなかった。ただ、自分の中に秘めた想いを、佐々木には漏らしてしまった。それは彼が、二度にわたる前十字靱帯断裂というケガから乗り越えて、日本代表にまで辿り着いたという実績が、あったからなのだろう。自分もそうなりたいと、心のどこかで願っていたからかもしれない。

「その時、どんなことを話したのですか?」

後に、その時のことを佐々木に聞いてみた。

「特には、何も。“やれよ”とくらいじゃなかったかな」

主将は、そう言って笑った。

以下は、永井に聞いた佐々木の言葉である。

(残り 2305文字/全文: 5904文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

日本サッカーの全てがここに。【新登場】タグマ!サッカーパック

会員の方は、ログインしてください。

1 2 3 4 5 6 7 8
« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ