フットボールシンガポール

インタビュー|是永社長との縁でシンガポールに アルビレックス新指揮官が目指すものとは 重富計二監督

 

3年連続でシンガポールの国内タイトルを独占し続けているアルビレックス新潟シンガポール(以下アルビS)。特に昨季はレギュレーションの変更により、23歳以下の選手のみ(オーバーエイジ枠1人を除く)というチーム編成を強いられたにも関わらず、公式戦で負けなし(リーグ戦21勝3分、カップ戦5勝)という圧倒的な強さを見せつけた。

2年間にわたって指揮をとった吉永一明前監督(現アルビレックス新潟アカデミーダイレクター)の退任をうけて、今季から常勝チームを率いるのが重富計二新監督。2014年からアルビSでアカデミーダイレクターとして子どもたちの指導にあたり、昨季はコーチとして吉永前監督を支えてきた。サッカー選手としてプレーしたのは高校時代だけで、育成年代を中心に指導者としてのキャリアを重ねてきた39歳の青年監督に話を聞いた。

 

Jリーグ誕生が野球少年の運命を変えた

―「監督」と呼ばれるのは慣れましたか?

選手たちからは「監督」と呼ばれてないですね(笑)。昨年はコーチとして選手と監督のあいだに入ってつなぎ役をしていたこともあって「シゲさん」と呼ばれていて、今年もそのままです。僕自身もあまり監督とは呼ばれたくなくて、もっと気さくな感じで選手との距離を近くしてやっていこうというスタンスでいます。

―サッカーの指導者を志したきっかけを教えてください。

僕は島根の田舎育ちで、小・中学校では野球少年だったんですが、中学生のときにちょうどJリーグが開幕して、休み時間にみんなでサッカーをするようになったんです。それで高校に進学したときはサッカー部を選びました。将来は学校の先生になって、生徒たちと一緒にサッカーをやりたいなと思っていました。

高校卒業したあと広島に出て、たまたまサッカークラブでアシスタントコーチのアルバイトを募集しているのを見つけたのが指導者になったきっかけで、そこからサッカーの指導にどっぷりとつかるようになりました。そのサッカークラブで8年間仕事をして、それからサンフレッチェ広島でスクールコーチとして幼稚園から中学生までの子どもたちに指導をしていました。

 

シンガポールに引き寄せた「ご縁」

―どうしてシンガポールに来ることになったのですか?

もともと海外に住んでみたいという、ぼんやりとした夢を持っていたんです。海外に住むためには、そこで仕事もしなくてはいけませんが、自分はこれまでサッカーの指導しかしたことがないので、必然的にサッカーコーチの仕事を探そうというところに行き着いた。オーストラリア人の知り合いがいたこともあって、オーストラリアに渡って現地のサッカー事情を見たりしていました。

2013年にオーストラリアから日本に帰るとき、たまたまトランジットでシンガポールに24時間滞在することになったんです。最初はマリーナベイサンズやマーライオンでも観光しようかと思ったのですが、せっかく時間があるなら現地でサッカーを見れないかと考えたとき、アルビレックス・シンガポールがあることを思い出したんです。

インターネットで検索したら、(アルビSの)是永(大輔)社長の取り組みを書いたページを見つけて、とても興味を引かれました。それまでまったくつながりはなかったのですが、ウェブサイトに載っていた是永社長のアドレスにメールを送り、シンガポールに行くのでぜひ一度お目にかかって勉強をさせて欲しいと伝えたこところ、「いつでもどうぞ」という返事をもらったんです。

実際に(ジュロンイースト)スタジアムでトップチームの練習を見学して、そのあと是永社長と食事をしながらサッカーや仕事の話などをしました。そして日本に帰ってしばらくした時に、社長から「いっしょに仕事をしませんか」というお話をいただいたんです。だからシンガポールに来ることができたのは、本当に偶然でした。タイミングというか、これも何かのご縁だったんだと思っています。

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