「スタンド・バイ・グリーン」海江田哲朗

【この人を見よ!】vol.1 左足で描く夢~MF16 中野雅臣~(2016/02/16)

「左足でボールを持てば、ドリブル、パス、シュート、なんでもできる」(中野) 写真=kitasumi

覚醒の時、迫る。プロ2年目、着実に力をつけている中野雅臣が、アタッカーとしての才を爆発させようとしている。注目すべきはその左足だ。やわらかいボールタッチから、創造性豊かなプレーを繰り出す。謙虚な姿勢で学びつづけ、テクニシャンにありがちなディフェンス面の怠慢もない。今季、J1昇格の手がかりとなるだろう、若き俊英である。

■片道2時間弱のランド通い

練習が終わり、クラブハウスで筋トレや身体のケアを行ったあと、中野雅臣は埼玉県さいたま市の住まいに帰る。電車とバスを乗り継ぎ、片道2時間弱のランド通い。この生活は、もう8年目に入った。

ジュニア時代は旧与野市で活動するネオスFCに所属。中学に上がる頃の中野はこの年代きっての逸材と見られ、地元の浦和レッズ、大宮アルディージャはもちろんのこと、FC東京、横浜F・マリノスといった首都圏の名だたるJ1クラブが獲得に動いた。J2の東京ヴェルディもそのひとつだった。

だが、当時クラブ身売りの噂がささやかれ、アカデミーが縮小傾向にあった東京Vは相手にならないと見られていた。東京Vジュニアユースの監督を務め、中野のプレーにほれ込んでいた永田雅人(現ジェフユナイテッド千葉U‐13監督)は、これまで培ってきたサッカーそのものに賭けた。

同じ左利きの小林祐希(現ジュビロ磐田)をはじめ、中島翔哉(現FC東京)、高木大輔、澤井直人、菅嶋弘希(現ジェフ千葉)らと一緒に練習させ、レベルの高さ、競争の激しさを示した。ほかにアピールの手立てを持たなかったというのが正直なところである。

中野は、オファーのあったクラブの練習に参加した日々を振り返って言う。

「子ども心に決めていたことがあったんです。サッカーを第一に考える。夢中になれる場所を選ぶ。ほかのクラブは練習が終わったらさっさと帰り支度をしていたんですが、ヴェルディはいつまでもグラウンドに居残り、ボールを蹴って遊んでいた。そんなチームはここだけだったんですよ。一緒に練習させてもらった選手は、全員自分より巧かった。その人たちがこれだけ練習をしている。ここならもっと巧くなれると思った」

片道2時間弱の道のり、J2のクラブであること、それらは問題ではなかったらしい。特に、大勢のサポーターで真っ赤に染まったド迫力のさいたまスタジアムに中野を招待し、「君もこの舞台でプレーしたいだろう?」と熱心に誘った浦和はたいそう残念がったと伝え聞く。

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