【この人を見よ!】vol.9 完璧よりも前進~MF14 澤井直人~(2016/07/06)
人生、七転び八起きを地で行く人だ。プロ3年目の澤井直人。歓喜と落胆、発奮と消沈の間を行ったり来たりでまことに忙しい。そうした繰り返しのなかで、長いスパンで見れば着実に右肩上がりとなっているのが、この人の強みである。やや責任を背負い込みすぎるきらいはあるが、失敗の理由を他者に求めない姿勢は見どころがある。
チームが苦しいときこそ、踏ん張れる選手。一縷の望みを逆襲につなげられるキーマン。いまはまだ頼りなく映るが、澤井はそうなれる条件を備えている。
■くすぶったユース時代
よくいる高校生のひとりだった。痛いところを指摘されると、ふらふらと目が泳ぐ。不安や緊張、感情の変化がすぐ顔に出る。16歳の澤井直人である。
「同期の(高木)大輔や菅嶋(弘希/ジェフユナイテッド千葉)と比べると、素材として光るものは乏しかったですね。走力があり、身体もしっかりしていましたけど、これといって強く打ち出せる特長がなかった。たまにスケール感のあるプレーは見せていたんです。ノーステップでの大きなサイドチェンジ。それを可能にする視野の広さ。ボールの中心をとらえたミドルシュート。だが、18歳でプロまではどうか。関東1部の大学あたりに進めれば、というのが当初の見立てだったと思います」
と語るのは、当時、東京ヴェルディユースの監督を務めた楠瀬直木(FC町田ゼルビア アカデミーダイレクター/U‐17女子日本代表監督)。中村忠(FC東京U‐18コーチ)とのコンビで指導にあたった。
東京Vユース95年組は、第31回全日本少年サッカー大会優勝をはじめ、ジュニア時代にタイトルを総なめにした世代である。高木大、菅嶋のほか、安西幸輝、畠中槙之輔(町田)とタレントがそろっていた。
ユースに昇格した同期がAチームに入り、頭角を現していくなか、澤井は雌伏の時を過ごしている。故障の影響もあり、高2の夏までBチームでくすぶっていた。
一度は、通っていた浦和東高校サッカー部への転籍を本気で考えた。サッカー部の監督と話し合い、あとは東京V側に筋を通すだけというところまで話が進んでいた。
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