「スタンド・バイ・グリーン」海江田哲朗

【新東京書簡】第八信『なぜ、そのクラブを愛するのか』郡司(2016/10/13)

新東京書簡

第八信 なぜ、そのクラブを愛するのか

▼実は2度目なんです

まずは『新東京書簡』での執筆の機会を与えてくださった海江田さん、後藤さんに感謝申し上げます。

僕のことを知らない読者の方が大半だと思いますので、簡単に自己紹介をします。僕はお二人と同じ“タグマ・ファミリー“”という形でJ2・FC町田ゼルビアを中心としたWebマガジン『町田日和』の編集長をしている郡司聡と申します。2007年から2014年の夏まで、サッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』編集部に在籍し、14年の夏に退職したことを機にフリーランスに転身。エルゴラでは2013年にヴェルディの担当記者でもあったので、ヴェルディ界隈では馴染みのある読者の方もいるかとは思います。

海江田さんと後藤さんの間で『新東京書簡』が復活してから、早速海江田さんのほうに「FC町田ゼルビアも東京都町田市をホームタウンとしているので、機会があればぜひ執筆させてください」とかねてからお願いをしており、今回実現に至った運びです。4年ぶりの『東京クラシック』復活に際し、このチャンスをいただけたこと、あらためて感謝申し上げます。

実は僕が『東京書簡』に乱入するのは、初めてのことではありません。今回で2回目です。まだ『新東京書簡』が『東京書簡』だった上に、エルゴラで連載されていたころ、たしか2007年だったかなと思います。僕がエルゴラの編集部に入る前から、『東京書簡』の大ファンで、お二人が奏でるハーモニーを掲載されるたびに楽しみにしていました。

そんなやりとりを当時の連載担当編集者と話していたところ、ある日突然、「郡司さん、東京書簡に乱入してよ」と“原稿依頼”を受けることになりました。「これは重責だ」と思いつつも、大都市・東京を本拠地に持つクラブがJリーグに与える影響は大きいという問題意識を持っていた僕は、構想を練りに練って、原稿をしたためました。

切り口は何の脈絡もない「東京ヴェルディ、下町へのホームタウン移転のススメ」。表現が乱暴かもしれませんが、西東京エリアでパイを奪い合うよりも、対立の構図をもっと明確にして、互いに切磋琢磨したほうがいいのでは? という当事者じゃない僕が勝手にぶちまけた提案でした。

僕の『東京書簡』の原稿に対するアンサーとして、海江田さんは恐らく「勝手なことを言いやがって」と腹わたが煮えくり返ったような思いを抱きつつも、「そういう案もあるよね」といった大人の対応をしていただいた記憶があります。その節は海江田さん、たいへん失礼いたしました。勝手な提案をいたしまして、申し訳ございません。

かなり前置きが長くなりました。今回は海江田さんの第七信を受けて、後藤さんに振る展開とのことですが、そろそろ本題に入ります。

今季の東京クラシックは町田の完勝に終わった。 ©︎FC町田ゼルビア

今季の東京クラシックは町田の完勝に終わった。 ©︎FC町田ゼルビア

▼もしや、“One of them”?

海江田さんが書かれた第七信の中で印象的だったのが、ヴェルディOB桜井直人さんの「フツーだね」という言葉。平たく言うと、クラブの色がないということだと思うのですが、そのクラブカラーというか、クラブのオリジナリティーについて、最近考えさせられる出来事がありました。

ケーブルTVでゼルビアの応援番組にトークゲストとして出演させていただいた折、収録に参加した観覧者の方から出た質問が、その問題意識をあらためて浮き彫りにしました。その質問の趣旨は、以下だったと記憶しています。

「ゼルビアは、近くにSC相模原を筆頭に、フロンターレ、FC東京、ヴェルディ、その先にはマリノス、横浜FCやYS横浜などもありますが、こんなにJクラブに囲まれたところにあるJクラブとして、ほかと差別化していく、あるいは存在感を発揮していくためには、何が大事だとお考えですか?」

その際は「クラブのオリジナリティー、チームカラーを確立して、あとはどこを応援するか、ファン・サポーターが選択権を持っている」という回答をしました。もちろん、それからというもの、「ではゼルビアのオリジナリティー、チームカラーはなんぞや」というテーマがなかなか頭から離れませんでした。

とはいえ、ある程度の答えは出ているんです。ゼルビアのクラブのフィロソフィー(哲学)は、「少年サッカーの街・町田を象徴するような、サッカー少年が憧れるトップチームであること」。このクラブ哲学が、クラブのオリジナリティーそのものと言えるでしょう。ただし、ディテールというか、何をもってして、少年サッカーの街・町田を象徴するようなクラブと言うのか。その定義付けがまだ確立されていないのかな、という気がしていました。

振り返れば、クラブにとって記念すべきJリーグ参入初年度だった2012年。当時のゼルビアは、クラブの起源でもある1977年に発足したFC町田トレーニングセンターが、“パスサッカー”を標榜していたことから、2012年のチームも“パスサッカー”を旗印に掲げていました。クラブはヴェルディの監督として天皇杯制覇にも導いたオズワルド・アルディレス監督を招聘し、“パスサッカー”を掲げてJ2初年度に挑みました。しかし、現実は厳しく、結果は周知のとおり、J2陥落です。

あれから4年。J2に復帰し、現在第35節を終えて、リーグ7位と健闘している“相馬ゼルビア”は、“パスサッカー”を想起させるチームとは言い切れません。いまのチームを語る上で頻繁に使われるフレーズは、「ハードワーク」、「コンパクトネス」、「素早い攻守の切り替え」などなど。攻撃時に同サイドに人数をかけて、アタッキングエリアに侵入していくアプローチは、時にパスワークやコンビネーションを必要としますが、“パスサッカー”として一つに括るには、多少無理のあるスタイルと言えるでしょう。

“美しく勝つ”、すなわち美しい内容での勝利を追求する上で、“パスサッカー”は一つの方法論です。しかし、そのスタイルではJ2に生き残ることは難しいという経験則が、ゼルビアには染み付いています。J2陥落により、古くから在籍し、ファン・サポーターに愛されてきた選手たちがチームを去るなど、大半のメンバーが入れ替わり、J2に復帰するまで、4年の時を要しました……。そんな下部リーグに降格する“悲哀”を経験してきたクラブは、ひとつの理想形はひとまず横に置いておいて、本来いるべきカテゴリーに戻るために、かつて標榜してきたスタイルとは違ったアプローチで作り上げられたチームで、いまはJ2を戦っています。私見で言えば、いまの“相馬ゼルビア”は、比較的オーソドックスなチームなのかなと思っています。

“One of them”。すごく乱暴な言い方をすれば、「ゼルビアはそんなクラブになっているのではないか?」。そんな疑念が沸き起こりつつありましたが、先日のホーム野津田での『東京クラシック』第2ラウンドでその認識は間違っていたと気付かされることになります。

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