「スタンド・バイ・グリーン」海江田哲朗

【新東京書簡】第二十五信『生き生きとするには』後藤 ※長文注意(17.9.20)

新東京書簡

第二十五信 生き生きとするには

度々お便りが遅れてしまい、ほんとうに申し訳ない。二年連続監督途中解任――表現は退任でも事実上の解任であることは言うまでもない――で、ひと月も間隔が空いてしまった。暫定監督の安間さんが指揮を執りはじめて一週間、大幅マイナスだったチームがようやくゼロに近いマイナスにまで戻ってきて、なんとか書ける状況になった。伝えたいことはいくらでもあるんだけど、何から挙げていきましょうかね。大増、長文失礼します。

■安間体制で甦った梶山

平本一樹に点を獲られまくったナビスコの東京ダービー、熱かったね。あの頃はFC東京にも勢いがあった。でも、平本やルーカスを懐かしがっている場合ではなくなってしまって。今回はその辺りの事情を一気にお届けしようと思う。

阿部拓馬、河野広貴、中島翔哉がつづけざまに移籍してしまったのは、前回、海江田さんが書いてくれたとおり。翔哉はポルトガルに渡り、さっそく活躍している。キッカーを任せてもらっているのもすごいが、やっぱり左から仕掛けてシュートというおなじみの仕事も思いきりやっているし、ラストパスにぴたりと合わせてのフィニッシュもすばらしいし、FC東京にいるときより活躍している。東京だと“対人”というのは守備限定になってしまうのだろうか、“対人”で抜いていける選手がなかなか育ってこない。若い選手だとFC東京U-18出身の内田宅哉が石川直宏のように育ってくれるかどうか。岡崎慎が森重真人のように、鈴木喜丈が高橋秀人のようになる姿はイメージしやすいのだけれど、やっぱり東京は守りのクラブなのかな。武藤嘉紀も技というよりはスピードとパワーの印象が強いし。

下部組織出身の攻撃に長けた選手というと、やっぱり後にも先にも梶山陽平。脚は速くなくとも、ぬるぬるとうなぎのように抜いていくドリブル、味方にも感知できないパス、重くて鋭いミドルシュート、という特技を持っている。ただ残念なことに、けがを繰り返していいプレーができなくなってきているうえに、先日、負けているルヴァンカップで途中交替するとき、ゆっくり歩いて世間に叱られるなど、現状の評価は高くない。

でもそんな彼が、ここのところ生き生きとしている。正確に言うと安間監督になってからだ。

ベガルタ仙台に勝って公式戦の連敗を5で止めたJ1の翌9月17日に、J3第23節のvs.AC長野パルセイロ戦があり、梶山はFC東京U-23の一員としてオーバーエイジ枠で出場した。ポジションはフォワード。4-2-3-1でも3-1-4-2でもずっとボランチやアンカーなど後方の中盤を担当していたけれど、守備はボランチに任せて前線で攻撃に専念できるようになったんだ。

「(J1の試合で東)慶悟がやっていたようなイメージですね。うしろで(ゲームの)つくりにも入って、前にボールが入ったときはスプリントして、ペナルティ(ボックス)に入る部分は意識していたんですけど。ヨネ(米本拓司)と話して、うしろはボランチが二枚いるから自由に動いてやっていいと言われていました」

ちなみに米本はボランチの相方である平川怜にも「守りはオレに任せろ。おまえはJ1でやらなきゃダメだ。オレといっしょにJ1でやれるようにがんばろう」って声をかけている。ほんとうにいい男だと思う。

梶山の話をつづけると、このvs.長野戦での彼は、ストライカーではないからフリーマンのように動く感じ。いいポジションをとり、いいパスを出していた。見違えるようなプレーだった。この日はピッチが水を吸って重馬場になっていて、水溜りで止まったり転がる距離が短くなってしまっていた。濡れる芝はグラウンダーのパスが転がりやすくなるものなのに、その反対の状態になっていたんだ。でも梶山は、浮き球はもちろん、目標よりも手前で止まってしまいそうなグラウンダーのパスも、力を加減して正確に狙った場所に通していた。

「水溜りがある、ピッチが濡れているところでウラへ通したりするのは、だいたい感覚でわかっているので、そんなに意識はしていないですね。このあいだのグラウンドは芝が深いせいか、濡れていても転がらずに止まってしまう状態でボールが流れなかったわけですけど、むしろそのほうがコントロールはしやすい。やりづらさはそんなになかったです」

感覚でやっちゃう天才肌。

この日のプレーは「やっぱり前のほうが生きる」と、元東京のフォワード近藤祐介も絶賛していた。
前の選手の気持ちがわかるだけに、ボランチになったときは意識して相手の選手がいても前にボールを当てるようにしていた梶山。この日はそのボランチからのボールを受けられるようにと意識して、U-17日本代表候補の平川怜(この子も巧い)と連動していたんだ。

やっぱり選手は環境次第で大きく変わる。梶山にとっては、安間東京(と、中村忠コーチ率いるFC東京U-23)は久しぶりに実力を発揮しやすいチームであるみたいだ。初めてやった3トップの一角なのに、とても輝いていた。

安間体制で生き生きとし始めた梶山陽平。

安間体制で生き生きとし始めた梶山陽平。

■東京のチームづくり、どこでまちがったのか

ではどうして、つい一週間ほど前までは、選手たちが輝けないチームになってしまっていたのか。遡ると強化計画自体の失敗に突き当たる。といったところで、ここからようやく後半です。長くて申し訳ない。ちょうどフォロワーの方から「篠田善之前監督がなぜプレスをかけるサッカーを志向していたのに消極的な雰囲気が極まったのか」という質問をいただいたので、そのアンサーを兼ね、ここ数年の東京を振り返ってみようかと。

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