「スタンド・バイ・グリーン」海江田哲朗

【無料記事】【新東京書簡】第二十九信『地元でやる誇り、Jの誇り』後藤(17.11.9)

新東京書簡

第二十九信 地元でやる誇り、Jの誇り

■引退発表にこめたもの

ことしは高木義成、石川直宏と、惜しまれつつ引退を表明する、なじみの選手が続出しているよね。Jリーグができてから四半世紀、ひとつの節目を迎えているんだなという気がする。

ヴァンフォーレ甲府の石原克哉もそのひとりだ。もう旧聞に属する話だけど、10月15日、山梨中銀スタジアムに行ってきた。甲府とFC東京のJ1第29節を取材するためでもあるけれど、試合後に石原の引退発表記者会見があるとなっては見届けないわけにはいかない。

当日。試合に関する取材をミックスゾーンで終え、さきほどまで監督会見をやっていた場所に戻ると、そこに引退会見用のテーブルがしつらえられていた。

甲府の7番がやってきた。
ピシッとスーツを着こなした石原が一礼ののち、入室する。その厳粛な佇まいを見、地元記者、甲府番記者の熱く優しいまなざしを感じるだけで、こちらも胸がいっぱいになる。

2001年から甲府ひと筋。出場試合数がふた桁に達しなかったのは2016年と、故障に苦しみ一試合もピッチに立てていない今シーズンだけ。それでもなお、最終戦の出場をめざしてトレーニングに励んでいる。

質疑応答が始まる。思い出に残っている試合はと問われ、答えは「2005年のJ1・J2入れ替え戦第2戦」。その、大木武が率いて初のJ1昇格を果たした上り調子の時代から、堅い守備でJ1残留を成し遂げてきた最近まで、どのようなサッカーをしていても甲府の主力でありつづけてきたことになる。その日々も、膝のけがで終わる。

「練習生から参加、ほかのチームに行くと一回も考えたことはなく、拾ってもらった恩を感じながらやってきました。それがいいかどうかはぼくにはわかりませんけれども、ぼくはこの17年間ヴァンフォーレ甲府という地元のクラブでやれたことを誇りに思っています自分はそれだけのことをやってくることができたかどうかわかりませんけれども、ちょっとでもヴァンフォーレ甲府、山梨県のお役に立てたらと思い、これまでやってきました」

紳士的に、ひとつずつ質問が重ねられていく。
甲府番のみなさんによる質問がほぼひとまわりしたところで、自分からも訊かせてもらった。

「引退の発表がこのタイミングになったことに他意はないのか、それともチームを後押ししたいであるなどの想いがあるのでしょうか」

石原の答えは思いの外、長かった。

「会見をきょうやらせていただくに先立ち引退を発表した、10月12日という日付に意味はありません。しかし、少し早く言わせてくださいとは自分のほうから言いました。それは、ぼく自身そんなに強い人間ではないので、『逃げないように』と決めた部分もあります。決めた時点でホームのFC東京戦がどんな試合になるかわかっていませんでしたけれども、残留を争うなかでのホームゲームでやはり勝点3を獲るべきだと思っていますし、そういう戦いをきょうもしてくれました(結果は1-1の引き分け)。残念ながら勝点1で終わってしまったのは仕方がないことで。
(引退を表明することで)もしかしたら、ひとりでも多くのサポーターのひとが来てくれるかもしれないと思ったり、少しでも一人ひとりの声が大きくなることがあれば、という気持ちももちろんあります。選手は100パーセントでやってくれているので、そういう気持ちの部分(の難)はまだそんなにないかなと思っていますけれども、この山梨中銀スタジアムにひとりでも多く脚を運んでいただいて、ヴァンフォーレ甲府というチームを応援し、観る機会を持つ方がひとりでも多く増えればと思い、(発表を)ホーム戦の前にさせていただきました」

深く一礼して会見場に入る。

深く一礼して会見場に入る。

厳かで、かつ温かい空気に充ちていた石原克哉の引退発表記者会見。

厳かで、かつ温かい空気に充ちていた石原克哉の引退発表記者会見。

次のページ

1 2
« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ