「スタンド・バイ・グリーン」海江田哲朗

【無料記事】【新東京書簡】第三十六信『観客動員を考える』海江田(18.4.4)

新東京書簡

第三十六信 観客動員を考える

■クラブを離れても

子どもの頃、広場で野球やサッカーをやっていると、いきなり入ってきて混ざりたがる近所のおっさんがいたものだ。後藤さんは都会っこだから、ちょっと環境面が違うかもしれない。おれの育った福岡の田舎町では珍しくなかった。

闖入者の登場によって一時的に盛り上がったりするけれども、次第にじゃまくせえと煩わしくなるのが常だった。まるで宇宙人を見るような感じで、自分はああはならないだろうと思った。

ところが、わからないものだね。いまのおれ、あのときの怪しいおっさんとメンタル的にはたぶん70%くらい一致している。その自覚がはっきりとある。

ある日、クラブハウスの前にサイン待ちの小学生がふたりいた。非公開練習が日常となり、練習場に訪れるファンはめっきり減っている。なおさら貴重に思え、誰を待ってんの? と声をかけた。

聞けば、ふたりはこの春から中学に上がり、ひとりはこないだまでヴェルディジュニアにいたという。そのへんの詳しい事情に触れるのは憚られた。アカデミーの生存競争の結果、あるいは自分の意志か。仮に失望があるとすれば、その大きさはいくら子どもでも大人より小さなものとは限らない。生きる世界が狭いぶん、小さな身体いっぱいに満たしている可能性も考えられた。

ベンチに座っておしゃべりをしているうち、共通の知り合いの存在が判明し、一気に距離が縮まった。そして、「(井上)潮音くんと林(昇吾)くん、まだかなあ。ちょっと、何してるのか見てきてくださいよ」などと、ぬかしやがる。これだからガキは。気を許せばすぐにつけ上がると舌打ちするが、先に接触を図ったのはこちらのほうだ。おれも内部には入れないんだ、と説明してやった。

なんの気なしに先の目標を訊ねると、「全国大会!」と少年は胸を張る。ランド通いの日々が終わっても、トップの選手に憧れ、変わらずにファンでいてくれるのはありがたいことだ。もし自分だったら、背を向けてしまう気がする。

ロティーナ監督は、たとえばFCバルセロナのようなクラブを目指して発展していくために、何が大切なのかを問われ、こう語った。

「バルサは明確なプレーモデルを導入し、プレーの方法を世界基準で捉えています。ただし、そのすばらしさは、ピッチ内だけにとどまりません。選手に与える連帯や協力の価値観がすばらしく、スペイン全土によい影響を及ぼしています。選手として、さらには人としても一流になるように価値観を植えつけているのです。現時点でひとつ言えるとすれば、アカデミーの選手、プロの選手を問わず、クラブを離れたあともずっとファンでいてもらえる場所にしていくことでしょうね」

最後の言葉が重く響く。これまで東京ヴェルディでは、長い歴史のなかで数え切れないほどの少年少女、プロ選手がプレーしてきた。この思想を実現できていれば、違った現在があったに違いない。

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