【無料記事】【新東京書簡】第四十九信『1985年生まれの梶山陽平が去り、1995年生まれの矢島輝一が立つ、2018年のFC東京』後藤(18.11.14)
■ヨーヘイからキイチへ
なんて考えることになったのも“東京の10番”の現役引退が発表されたからだ。
山口陽一朗へのアンサーを、矢島輝一を主人公に、ユース大学目線で書く。そんな新東京書簡の掲載日に、FC東京下部組織出身Jリーガーの草分けである梶山陽平の引退発表が重なるなんて、考えもしなかった。
まだFC東京U-18からトップチームに昇格する例が少なかった2004年、馬場憂太や尾亦弘友希といった先輩を追うようにして正式加入。既に2種登録でJリーグデビューを果たしていたから新人感はやや薄かったけれど、このルーキーイヤーがすごかった。
リアソールではデポルをミドルズドンで倒し、国立ではヴェルディをミドルズドンで倒し。とにかく「梶山といえばミドルシュート」、そういうシーズンだった。
アジアカップで代表組が大量に抜けた状態でのスペイン遠征は、まだ五輪セレソンの威光を保ったままであるかのようにルーカスが頼もしく、そして怖いもの知らずの若手である馬場、梶山の若手が奮起し、かなり高い水準のパフォーマンスを発揮していた。そしてスペイン遠征の名残があった8月はチーム全体の出来がよく、それが東京ダービーの勝利につながっていたのだろうし、ナビスコカップの優勝にもつながったのだろうと思う。とにかく、原博実監督率いる東京は上り調子だった。
そうそう、翌2005年のダービーでも梶山はゴールを決めているんだよね。海江田さんが坊主刈りをする羽目になった、あの試合ですよ。嫌な記憶を掘り起こして申し訳ない。
じつはその試合、森本貴幸の得点でヴェルディが先制しているんだ。梶山のゴールで追いついて、最後にササで逆転。といったように、ダービーではユースからの生え抜きが点を獲っている印象が強い。馬場もよく決めているし、ヴェルディでは飯尾一慶がそう。もちろんナビスコダービーで大活躍した平本一樹もそう。やっぱり燃えるんだろうね。
話が逸れた。
高い位置で攻撃的にプレーすると、味方も予測できないような変態パスを出す。何かをしそうな危険な匂いが漂っていた。梶山はスケールの大きな新人だった。
スピードはないのに、うまくすり抜け、あるいはうまくからだを相手に当てながら、ボールを奪われない。ナビスコ初戴冠のあとのジェフ戦で、ひとり時間差シュートを決めて東京ファンを笑わせてくれたのも、いい思い出だ。
膝を壊してからも、けがを抱えているなりによくがんばったと思う。
若いときは取材では全然話してもらえなかったけど、年々言葉数が増え、最後は的確かつよく喋るコメント王みたいになっていた。お子さんが出来、父親となったこともあるのだろうけれど、子どものファンに対して基本的には優しいけれど、注意するべきところでははっきり伝えられる、そういう接し方もすばらしかった。
おつかれさまでした。
今夏は梶山とともに丸山祐市、そして選手会長だった吉本一謙にいたるまで、アカデミー出身の年長者たちが揃って移籍した。以後は橋本拳人、矢島といった選手たちが生え抜きとしてこのクラブを支えている。
大先輩の梶山から受け取ったバトンを、しっかりと握りしめている。
『トーキョーワッショイ!プレミアム』後藤勝