【新東京書簡】第七十六信『平智広を見ておくれよ』海江田(20.9.11)
第七十六信 平智広を見ておくれよ
■飲み下さないうちに次から次へと
だいぶご無沙汰してしまった。すまない。
今春の新型コロナウイルスによるリーグ中断期間、たっぷり2年分は休んだぜ、とエネルギー満タンで再開の日を迎えた。
7月は3連戦がふたつ。まだまだ余裕だった。週末のサッカーが帰ってきた喜びに勝るものはない。8月の5連戦は、遠方のアウェー取材を自粛していたせいもあり、さほど厳しく感じなかった。東京ヴェルディの調子が上向き、充実度の高いサッカーを見せてくれたのも大きい。
そして、9月の5連戦、どっと疲れがきた。早くもグロッキーかよ、だらしねえと思うが、試合を追っていくだけで精一杯。口のなかの食べ物を飲み下さないうちに次を突っ込まれるような感覚で、立ち止まって考える余裕がまるでない。
前例のない過密日程とはいえ、やるのは選手だし、見ているだけの外野は気楽なもんだと構えていたが、実際はけっこう大変だった。
新様式の取材は、ガジェットを使いこなすレベルの低いおれには骨が折れる。通信環境が確保できるか、こっちの音声が届いているか、ヘンなところに神経を使い、気疲れする。
仕事をした充足感がそれに見合うものであれば苦労のしがいもあるが、横並びのオンライン取材ではそれも望めない。アウェーにいっても乏しい手応えで帰路につき、サウナ付きの宿で自分にご褒美でもやらなければやってられない。ドーミーイン、万歳だ。
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