「スタンド・バイ・グリーン」海江田哲朗

【無料記事】【トピックス】特集『ルーツ探訪 加藤弘堅、佐藤久弥に授けた翼 ~Wings~ 』前編(21.5.20)

特集『ルーツ探訪 加藤弘堅、佐藤久弥に授けた翼 ~Wings~』前編

 

東京ヴェルディの公認準支部であるWingsは千葉市、習志野市で活動し、これまで数々のプロを輩出してきた。
今季、ギラヴァンツ北九州から移籍し、チームの中心的な役割を担っている加藤弘堅、東京Vユース、順天堂大を経て加入したルーキーの佐藤久弥もここの出身だ。
彼らはWingsでどのような日々を過ごしたのか。読売クラブの流れを汲み、クラブを立ち上げた久保巳郎監督に訊いた。

 

■将来のプロを意識させる素材

総武線の新検見川駅のそば、往年の日本代表の合宿地として知られる東京大学の検見川グラウンド。そこからクルマで10分ほど北上したところに、Wingsの活動拠点であるエスタディオサンフット(千葉市花見川区)がある。

タクシーを降りてグラウンドに近づいていくと、白髪の男性がこちらを見つけて駆け寄ってきてくれた。クラブの代表を務める久保巳郎監督である。

「最初は習志野高校のグラウンドからスタートして、あちこちを転々としました。練習場所を確保するのは苦労しましたね。どうにかしてクラブの拠点を構えたいと計画し、ここに落ち着いたのがおよそ7年前です」

新型コロナウイルス禍、各地の街クラブは多大なダメージを受けたが、Wingsは自前の練習場を持つ強みが生きたそうである。「お金を借り入れてグラウンドや施設をつくったから、いろいろ大変ですわ」と久保監督はからから笑う。

現在、東京ヴェルディに所属する加藤弘堅、佐藤久弥がWingsの深緑のシャツを着ていたのは、津田沼の千葉工業大学のグラウンドを間借りしていた頃だそうだ。

加藤はジュニアユースの3年間、佐藤久はジュニアの小学2年から4年までここでボールを蹴っていた。

当時を振り返って、久保監督は言う。

「ふたりともプロまでいくだろうと思わせる素材でした。弘堅を初めて見たのは小6、北貝塚FCでプレーしていた頃ですね。ポジションはセンターハーフ。ひと目見て、こいつは巧い、ほかの選手とは全然違うぞと。昔、西ドイツ代表の中心だった(ギュンター・)ネッツァー、わかります? 彼みたいなプレースタイルです。髪の毛がサラサラで、インサイドでもアウトサイドでもスルーボールを出せる。発想が鋭く、狙ったところに確実にボールを蹴れる。まさにサッカーセンスの塊で、うちのジュニアユースにこないかと誘いまして。久弥は小2のとき、千葉工大のグラウンドにお母さんと一緒にきたのを憶えています。なんかの拍子にボールを投げたんですよ。小学生の使う4号球がビュンとすごい勢いで飛んでいった。子どもの手にはけっこう大きくて、あんなふうに投げられる子は見たことがありません。背筋が発達していて、地肩の強さが抜群でした」

佐藤久は小3までフィールドプレーヤーだったが、練習を見てもらっていた新井俊範コーチ(現在は移籍)のすすめによりゴールキーパーに転向したという。

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