宇都宮徹壱ウェブマガジン

1997年の「最終決戦」

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(c)Tete_Utsunomiya

インタビューに用意された会議室に通されたとき、まず目に飛び込んできたのが「最終決戦」の4文字をデカデカと配した、この年季の入ったポスターであった。かなり色あせてしまっているが、当時の記憶はもちろん今でも極めて鮮明である。

「Road to FRANCE」──私たちのフランスへの旅は、1997年9月7日、東京・国立競技場での三浦知良と城彰二によるセンターサークルでの祈りから始まり、同年11月16日のジョホールバルでの岡野雅行のゴールデンゴールでフィナーレを迎えることとなった。スリルとドラマが満載だった最終予選ツアーを企画したのが、株式会社セリエ。この日、私がインタビューをさせていただいたのは、同社の代表取締役である徳田仁さんである。

実はセリエが、本格的に海外観戦ツアーの事業を開始したのが、まさにこのフランス大会の最終予選からであった。そして翌98年のワールドカップ・フランス大会、さらには同年の中田英寿のペルージャ移籍によって、日本でも海外で試合を観戦する文化が定着してゆく。徳田さんには、わが国におけるスポーツツーリズムの四半世紀の歴史について、いろいろと興味深いお話を伺うことができた。インタビュー記事は、ワールドカップ・アジア2次予選が再開される来月上旬でのアップを予定している。

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