宇都宮徹壱ウェブマガジン

オシムさんに叱られながら学んだこと 森田太郎(サラエボ・フットボール・プロジェクト代表)インタビュー

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(c)Tete_Utsunomiya

サラエボでのオシムさんインタビューから、早いもので間もなく3カ月になる。今年も残すところ、あと3分の1。相変わらず国内外での取材が続いているが、少なくとも年内に関しては、あれほど会心のインタビュー取材はもうないような気がする。というより、これまでの18年におよぶ取材経験の中でも、あれほどの緊張感と達成感を覚えた取材現場というものは、ちょっと思い浮かばない。それくらい私にとっては、ターニングポイントとなる経験であった。
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実は今回のボスニア・ヘルツェゴビナ取材は、ある友人のアイデアとアドバイスからスタートしている。「サラエボで今度、旧ユーゴ諸国のクラブが集まるユースの大会があります。プレゼンターはオシムさんです。取材に行きませんか?」──そう声をかけてくれたのが、今回ご登場いただく森田太郎さんだ。森田さんは静岡県立大学在学中だった2000年、サッカーによるボスニアの民族融和を図る『サラエボ・フットボール・プロジェクト』の代表となり、現地で民族の垣根を超えた少年・少女のサッカークラブ『クリロ(翼)』を立ち上げている。
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それだけでも「すごい人だな」と思うのだが、森田さんのすごさはそれだけにとどまらない。現地の子供たちにサッカーを教えるために、現地でUEFAライセンスを取得したこと(B級だそうだが、当人に競技経験がほとんどないことを思えば快挙と言える)、そしてイビチャ&アマルのオシム親子をはじめボスニア・ヘルツェゴビナにおけるサッカー関係者との人脈が尋常でないこと(私が知る限り、日本で彼を超える人はいないと思う)、などなど。実際、現地で出会った多くのサッカー関係者から何度「ミーシャ(森田さんの愛称)は元気か?」と声をかけられたことだろうか。

ちなみに今回のボスニア取材では当初、森田さんにコーディネーターと通訳をお願いすることを考えていた。しかし彼の現在の職業は、都内の小学校の先生。さすがに授業を休ませるわけにはいかない、ということでご紹介いただいたのがジェキチ美穂さんであった。結果として、ジェキチさんにお願いして大正解だったと思っている。と同時に、今回の取材で不可欠なブレーンだった森田さんには、徹マガで一度きちんとお話を伺いたいと考えていた。今回のインタビューでは、森田さんの破天荒な半生から見えてくる「サッカーと民族融和」について考えてみたい。(取材日:2015年7月21日@東京)

■普段のシュワーボはあそこまで話さない?

――今日はよろしくお願いします。あらためて、オシムさんのインタビューを読んでいただいた感想をいただけますか?

森田 よくしゃべったなと思います。宇都宮さんの人柄なんですかね(笑)。

――いやいや、ジェキチ美穂さんがオシム夫妻と面識があったからこそ、何とかインタビューが成立したと思っています。そもそも、ちゃんと会えるかどうかも、当日にならないとわからない状況でしたし

森田 たぶんシュワーボ(オシムの愛称)は確実に会ってくれるだろうなと僕は思っていました。その日なのかどうかはともかく、少なくとも宇都宮さんに会うつもりだったとは思いますよ。インタビューされたのは、グルバヴィッツァの近くのレストランでしたよね?

――そうです。農家から直接、肉や野菜を仕入れているとかで、ご夫妻のお気に入りのお店でした。行ったことあります?

森田 僕はないですけど、僕がシュワーボに紹介した人は、たいていあの店に連れて行ってもらっていますね。ジェリェズニチャルの関係者も、あそこに集まって食事することが多いですね。

――今回、どこでインタビューすべきかについては、ぎりぎりまで悩みました。というのも、普通のカフェでインタビューでもしたら、あちこちから「あ、オシムさんだ!」みたいな感じで人が集まってくると聞いていましたから。結果として、隠れ家的なレストランで大正解でした

森田 それはあんまり心配しなくてよかったと思いますよ。ボスニアだったら、そこらへんに有名な監督がいても、普通に素通りしますから(笑)。

――奥さんのアシマさんからは「ホテルヨーロッパのスイートなら、よく取材で利用するわね」みたいな話を聞いていたので、いちおうそこも仮押さえしていたんですよ

森田 ホテルヨーロッパだったら、もっと硬い感じのインタビューになっていたと思いますよ。でも実際のインタビューは、僕からしたら「あ、ここまでしゃべってくれたんだ」という印象ですね。これまで何人かのジャーナリストの方が、シュワーボに話を聞いていますけど、あそこまで話さなかったと思いますよ。特に「自分が病気で倒れなかったら」というような内容って、少なくとも僕はあまり読んだことはないです。

――もうひとつヒヤヒヤしたのは、木村元彦さんが直前にオシムさんにインタビューしていたことです。木村さんとはよくバルカンでニアミスするんですが(笑)、今回もまさにそうで、サラエボで元ユーゴ代表のプレドラグ・パシッチさんにインタビューしたときも、「そういえばキミの前にも日本人が取材に来たよ」といってNumberを見せられたときには、ドキッとしましたね(笑)。幸い、木村さんがオシムさんに聞いていたのは、主にFIFAの不祥事に関することだったので、丸かぶりでなくてほっとしましたが

森田 宇都宮さんに関して言えば、サラエボの国際ユース大会を取材していたことが、とても大きかったと思います。はっきりいって、日本人のジャーナリストは誰も関心を示さなかった大会じゃないですか。それを取材されて、「サッカーを通した民族融和と相互理解」という大会趣旨を理解していたからこそ、オシムさんも信頼してくれたんじゃないんでしょうか?

――それはそうなんですが、あの大会の存在を知らせてくれたのも太郎さんだったわけで、そういう意味でも本当に感謝しています。

森田 僕も宇都宮さんにあの大会を見ていただきたかったので、本当に良かったと思います。ただ、もう少し記事に反映してほしかったんですが(笑)。

――いやあ、オシムさんのアテンドでてんてこ舞いになって、ゆっくり試合を見ることができなかったんですよ。それだけが私も心残りでしたね

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