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宇都宮徹壱ウェブマガジン

 日本サポーター協会が輝いていた時代  浅野智嗣(JSA初代理事長)&杉本渉(第2代理事長)インタビュー

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(c)Tete_Utsunomiya、以下全て同じ

2015年9月、日本サポーター協会(JSA)が15年にわたる活動に終止符を打ち、解散した。とはいえ「JSA」と言われても、もはやわからない方のほうが多いかもしれない。2000年11日に設立されたNPO法人であり、定款に記された目的は以下のように書かれてある。

この法人は、誰もが自由かつ気軽にスポーツを愛好できるようになるために、スポーツ愛好家及びこれからスポーツを愛好しようと欲する人々に対して、スポーツに関係する教育、指導、及びスポーツに対応する情報の公開、紹介、斡旋等に関する事業を行い、広く日本スポーツ文化の発展、向上に寄与することを目的とする.

2010年代も半ばとなった今では、ごくごく当たり前のことではあるが、21世紀を目前に控えた当時としては、極めて新鮮な「スポーツ立国宣言」に感じられるものあった。しかもこれを発信したのは、お役所や代理店や各種競技団体の人たちではなく、市井(しせい)のサッカーファンのおじさんが理事長で、法政大の現役大学生が副理事長(のちに2代目理事長)という組織であった。ゆえに、当時駆け出しのフリーランスだった私は、このJSAという組織にがぜん興味を抱くこととなったのである。

今回、ご登場いただくのは、JSA初代理事長の浅野智嗣さん(写真左)と第2代理事長杉本渉さん。おふたりとは、実に15年来のお付き合いである。そして「市井のサッカーファンのおじさん」はのちにスクワッド(エル・ゴラッソの版元)の役員となり、一方「法政大の現役大学生」はワイズ・スポーツ(スポーツナビの運営会社)の代表取締役となって今に至っている。

最初は単なるサッカーファンだったおふたりが、JSAでの活動を通じてサッカー界での人脈を広げ、その後スポーツメディアの世界で重責を担うようになった経緯を思うにつけ、2002年のワールドカップがもたらしたものは、スタジアムなどのインフラだけで決してなかったことを痛感する。2002年のインパクトは、豊かな人材やメディア、そして新しいムーブメントを起こす契機にもなった。JSAもまた、間違いなくそのひとつだったと言ってよいだろう。

とはいえ、そのJSAが日本サッカー界にどんな功績を残したかと問われれば、答えに窮してしまうという現実もある(今回のインタビューでも、おふたりの口から明快に「これ」という回答を得ることはできなかった)。しかし、だからといってそれがJSAの存在意義がまったくなかったという証左にはならないと私は考える。

半ば勝手連的に始まり、NPO法人を立ち上げ、最盛期には30人ほどの正会員がいたというJSAのムーブメント。その軌跡は、5年後に迫った東京五輪に向けても大きな教訓を残したのではないか。そんな仮説を懐に忍ばせながら、浅野さんと杉本さんにじっくりとお話を伺った。たとえJSAという団体を知らなくとも、同時代を生きた方であればそれなりに琴線に触れるインタビュー記事になったと、密かに自負している。(取材日:2015年8月23日@東京)

■15年の活動に終止符を打ったJSA

――今日はよろしくお願いします。JSAの解散については、かねてより噂は聞いていたんですけど、いよいよ来月ということで個人的にも非常に感慨深いものがあります。まずは今回の決断の背景に何があったのかについてお願いします

浅野 それは2代目理事長からお願いします。

杉本 はい、2代目がお話させていただきます。実はここ数年、ずっと考えていて、だらだらと続けていても仕方がないかなということで「止める方向で」っていうのは、なんとなくみんなで話していたことなんです。ただ、止めるのにもそれなりにパワーがいるので、ここで気合を入れて止めようという決断を(昨年の)12月ぐらいにさせていただきました。

――決断に至った一番の理由は?

杉本 やっぱりパワー不足というのが一番大きいかなと。組織が生き生きとした状態で活動していくのは、人であったりお金であったりビジョンであったり、いろいろ複合的な要素が必要となりますが、どれもパワーが足りずに中途半端だったという気はします。それで月に一度の定例会……といっても、実際には2カ月に一度くらいの頻度でしたが、JSAのみんなといろいろと議論した結果として今回の決断に至ったというのが実際のところですね。

――浅野さんは初代理事長として、どうご覧になっていましたか?

浅野 渉が今言ったことの繰り返しになるかもしれないけど、僕の言葉でいうと「もう継続する必要がなくなってきた」ということですね。それとプラスして、似たような活動やサイトが出てくる中、活動を継続させるためにはこっちもパワーなり変革なりをしていく必要があったと思います。でも、そのための原資となる収益がなかったんですね。収益さえあれば、渉が言った「パワー不足」というものが解消されたかもしれない。そうした事業的なところに持っていけなかったところに(解散の)要因はあったと思います。

――先ほど杉本さんがおっしゃった定例会というのは、最近では何人ぐらい集まっていたんでしょうか?

杉本 少なくて5人ぐらい、多くて8人。正会員は、今は11人しかいないんで。ピーク時は30人ぐらいいたんですけど。

浅野 賛助会員も入れたら、50人ぐらいはいましたね。

――これは以前にも杉本さんから聞いていた話ですが、各人のライフステージの変化というのは大きかったんじゃないですか。

杉本 それは大きかったです。(組織として)一番エネルギーがあった時は、学生や社会人1~2年目といった若い世代が、現場に行って取材したり撮影したりしていたんですよね。で、当時30代後半くらいの人たちが、若いスタッフを上手く使いながら組織を回していたんですけど。

――そのあと、若い人は入ってこなかった?

杉本 何人かは入ってきましたが、ずっと最後まで続いた人はいませんでしたね。結局、僕と副理事長の赤坂(優太)が一番年下のまま解散するという。

浅野 第三者的に言えば、若い人が入ってくるだけの魅力のある組織体じゃなかったってことですよね。

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