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「ミスターレノファ」と呼ばれた男の物語 福原康太(FCバレイン下関)インタビュー #renofa

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(c)Tete_Utsunomiya(以下、表記なしはすべて同じ)

福原康太というフットボーラーをご存じだろうか?
この名前と顔にピンと来た方は、おそらくはレノファ山口のサポーターであろう(それも中国リーグ時代からの)。福原は2008年から14年まで、当時中国リーグ所属だったレノファ山口に在籍し、歴代最多73ゴールを挙げている。12年からは背番号10を背負い、サポーターからは「ミスターレノファ」と呼ばれ、大いにリスペクトされていた。

周知のとおりレノファ山口は、13年にJFL昇格、14年にJ3昇格、そして今年15年は劇的なJ2昇格を果たした。その直前に、スポナビで連載中の『J2・J3漫遊記』の取材で山口を訪れ、そこでサポーターの紹介で出会ったのが福原だった(連載の前篇後篇)。

福原は現在、J2昇格の熱狂から離れた場所にいる。山口市内で暮らしてはいるのだが、今は働きながら山口県1部のFCバレイン下関でプレーしている。14年途中で期限付き移籍に出され、今季から完全移籍となった。あれほど渇望していたJFLの試合には一度も出場することはかなわず、今季は維新百年記念公園陸上競技場で飲料水の販売をしながら、J2昇格に邁進する古巣の盛り上がりを眺めていた。

クラブは生き物であり、その新陳代謝の過程において、毎年のように何人かの所属選手がサポーターに別れを告げる。「ミスター」とか「キング」とか「レジェンド」などと呼ばれた選手も、その例外ではない。ゆえに福原が語る「物語」は、言ってみれば「よくある話」なのかもしれない。

それでも、レノファ山口が驚異的な速度でカテゴリーを上げていく中、その黎明期に奮闘したプレーヤーの言葉に耳を傾けてみるのは、それなりの意義はあるのではないか。実のところ福原が語る物語は、単にコラム執筆の資料にとどめておくには惜しいくらいに起伏に富んだものであった。レノファ山口のJ2昇格が決まった今だからこそ、このインタビューを(とりわけ山口サポの皆さんに)お届けしたい。(取材日:2015年10月27日@山口)

■レノファの躍進へのうれしさと複雑な想い

――今日はよろしくお願いします。チームを離れて2年になるわけですが、チームの快進撃というのはどう見ています?

(残り 8950文字/全文: 9886文字)

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