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【無料記事】あえて、清原和博について語ってみる 同時代を生きた同世代として思うこと


(C)Tete_Utsunomiya

久々にサッカー以外のことについて書こうと思う。それも「あの」清原和博についてだ。

自他ともに認める野球オンチであり、清原(本稿では「清原容疑者」ではなく、あえてこの呼称で通す)に取材したことも近くで目撃したこともない私にとり、それなりにリスクのあるチャレンジであることは重々承知している。あえて、清原について語ってみようと思ったのは、自分がこれほどまでに彼のことが気になってしまう、その理由を「自らが書くこと」によって明らかにしたかったからだ。プロ野球に詳しい方には、もしかしたら見当違いの意見に感じられるかもしれないが、そこは平にご容赦いただきたい。

今回の事件の第一報に接して、「覚醒剤所持(のちに使用を認める)」という事件の深刻さもさることながら、私があらためて驚かされたのが、清原の48歳という年齢である。もう、そんなトシだったのか……。プロフィールを確認すると、生年月日は1967年(昭和42年)8月18日。私とは年齢が1つしか違わない(学年では私が2つ上)。つまり、ほとんど同世代である。そういえば甲子園で通算13本のホームランを放っていた時代(83〜85年)は、ちょうど私も高校生から浪人時代に入った頃であり、清原がプロデビューした86年は私が大学に入学した年であった。

純然たる野球世代の私だが、長嶋茂雄や王貞治といったスター選手は、すでに生けるレジェンドであった。それはサッカーについても同様で、釜本邦茂にしても奥寺康彦にしても、どこか浮世めいた超人然とした存在にしか感じられなかった。そうして考えると、同時代を生きた同世代であり、良くも悪くも人間臭さが感じられ、高校時代から現役引退後も含めて30年以上も折にふれて見続けてきたスター選手というものは、清原をおいて他にいなかった(余談ながら、やはり同世代の三浦知良については、ブラジル時代の情報が断片的だったこともあって「90年代に突如として現れた」という印象である)。

今回の清原の事件について、私はさまざまな関係者や識者の意見を読み込んでいるのだが、その中で最も説得力が感じられたのが、野球解説者である野村克也氏のコメントであった。とりわけ印象的だった部分を引用する。

 プロ1年目から俺の記録はいつか清原に塗り替えられるなと思っていた。こんな選手いない。ただ物足りなかった。野球選手に大事なのは判断力だが、清原のプレーからは状況判断をしているとか、頭を使っているとかが全く伝わってこなかった。
(中略)
野球は技術力には限界がある。その先は頭で考えるしかない。そこから先がプロの世界なんだよ。技術の先には頭脳と感性が必要なんだよ。でも清原は若いときに教育されていないから考えないし感じない。人間の最大の悪は鈍感であると言うが、まさにそのとおりだよ。

さすがはノムさん。非常に辛辣であると同時に、極めて的確な意見だと思った。才能と技術が抜きん出ていたがゆえに、自分で考えたり感じたりすることをせず、結果として才能任せ、力任せの選手でしかなくなってしまった。「自分で考える」「状況に応じて判断する」というのは、サッカーの育成では基本中の基本だが、私が少年だった頃、そうした指導方針は極めてまれであったと記憶する(少年野球の現場もそうだったのではないか)。もちろん清原自身に、謙虚に学ぼうとする姿勢が欠落していたことも問題だが、そんな彼の姿勢を正そうとしない時代の空気感というものも、確実にあったのだと思う。

加えて清原は、時代を先取りするような先見性がほとんど感じられない、むしろ「昭和的価値観」にどっぷりと遣ったドメスティックなアスリートであった。とにかく「巨人に入ること」が野球人生の目標であったこと、巨人時代は1日2箱半も吸うヘビースモーカーであったこと(試合中も喫煙していたそうだ)、「番長」とか「男気」といったマッチョイズムを標榜し、引退後も任侠のような装いで周囲を威嚇していたこと、などなど。

だが、そんな清原の生き方を真っ向から否定するかのように、プロ野球界をめぐる状況はこの20年で激変した。野茂英雄やイチローをはじめ多くの日本人選手がメジャーで活躍するようになり、地域に根ざした球団経営によってパ・リーグにも多くの観客が詰めかけるようになった(相対的に巨人の一極集中人気は解消され、地上波での巨人戦の放映も極端に減少した)。それでも清原は愚直に、そして滑稽なまでに「昭和的価値観」に身を委ね、「自分で考える」ことや「状況に応じて判断する」こともなく年齢を重ねてしまった。

もう少し早く生まれていたら、昭和のプロ野球人として逃げ切ることもできたかもしれない。もう少し遅く生まれていたら、メジャーや五輪やワールドベースボールクラシックのような「世界との戦い」を経て、もっと違ったキャリアを切り開いていたかもしれない。そこに、時代のエアポケットに迷い込んでしまった彼の悲哀を感じる。

もちろん、だからといって清原のことを安易に「時代の犠牲者」と言うつもりはない。奈落に至るまでの残念なエピソードの数々は、そのほとんどが当人の弱さや未熟さに帰するものである。それでも、こちらの報道に見られるように、清原の輝かしい記録と記憶が、今回の事件によって「なかったこと」にされてしまうとしたら、同時代を生きた同世代のひとりとして、絶望的なまでの悲しみを禁じ得ない。

まずは罪を償い、薬物および反社会的な人間関係を断ち切り、球界で隠蔽されていた闇を明らかにすること。その上で、自分がなぜ間違えてしまったのかを、自分の言葉でもって次世代のアスリートたちに伝えていくこと。何年かかるかはわからないけれど、いつの日か、そんな清原の姿を見てみたいと心から願う次第。今回の事件で清原のキャリアは「終わってしまった」とされているが、むしろ彼にしかできない野球界への貢献は必ずあるはずだ。

<この稿、了>

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