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【無料記事】ゆっくりと成長した先にJFLがあった ブリオベッカ浦安が歩む「地域密着」の王道

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間もなく新しいシーズンが始まる。今年の開幕は、J1が2月27日、J2が28日、J3が3月13日、JFLは3月6日となっている。毎年この時期は、それぞれのニューカマーが気になるところ。J1であれば(ニューカマーとは言い難いが)昇格プレーオフを制して5年ぶりのJ1復帰を果たしたアビスパ福岡、J2であれば驚異的なスピードで3シーズン連続の昇格を果たしたレノファ山口、J3であれば合併から3シーズン目で晴れてJクラブとなった鹿児島ユナイテッド、そしてJFLであれば高知での地域決勝を勝ち抜いたラインメール青森とブリオベッカ浦安。とりわけ浦安については、直近に取材したこともあって、非常に気になる存在となっている。

浦安で個人的に注目している選手がいる。MFの富塚隼、23歳。浦安サポ以外にはほとんど知られていないであろう、この選手のどこに注目しているのかというと、彼が浦安生まれの浦安育ちであることだ。下部組織である浦安JSCに小学1年生で入団。以後、他の街クラブやJクラブの下部組織や高校サッカーに目移りすることなく、また浦安の地を離れることなく東京ディズニーランドで成人式を迎えた(余談ながら浦安出身の20代や30代にとって、ディズニーランドは「遊びに行くところ」というよりも「成人式が行われる場所」というイメージが強いのだそうだ)。

浦安を離れなかった理由について、富塚自身は「居心地がよかったし、引き抜きもなかったから」と語っている。何だか向上心のかけらも感じられないようなコメントだが、逆に浦安でプレーし続けたことで、彼は千葉県リーグ、関東リーグ2部・1部、そして2度の地域決勝を経てアマチュア最高峰のJFLの舞台にまでたどり着くこととなった。しかも今季から富塚は左サイドバックにコンバートされ、元日本代表の都並敏史TD(テクニカルディレクター)からマンツーマン指導を受けている。「自分がどこまでできるかわからないけど、都並さんからいろいろ吸収できて、毎日の練習がとても楽しいです」とは当人の弁。何という夢のある話であろうか。

「夢のある話」という意味では、浦安の会長である谷口和司さんのことにも触れておく必要があるだろう。浦安市に暮らす谷口さんは、もともとはバリバリの外資系ビジネスマンだったのだが、お子さんが浦安JSCに入団したのをきっかけに、保護者のひとりとしてクラブ運営にボランティアで関わるようになった(ちなみにお子さんは富塚の1つ下で、ユース時代は一緒にプレーしたそうだ)。当時はまさか、自身がクラブの会長になるとは夢にも思わなかったという。

2000年、浦安にトップチームが立ち上がり、第4種から第1種までの一貫したピラミッドが完成する。すると谷口さん、自分の子供だけでなくクラブ全体のことが気になりだし、本業の激務をこなしながらクラブ運営に深く手広く関与するようになる。「どうせやるならJFLを目指そう」と決断したのは、06年のこと。当時、トップチームは県1部を戦っていた。それから9年後の15年、その夢はついに果たされることになる(その前年、谷口さんは55歳で退職して会長職に専念している)。

これまで「●年後までにJリーグへ!」という地方クラブを(そして夢の実現や挫折の瞬間を)いくつも見てきた。ほとんどの場合、客観的に見て「これはかなり厳しいミッションだろう」と思われたが、それだけに当事者たちの情熱と労力は、いずれも尋常なものではなかった。その半端ない熱量の行方というものを、私はこれまでたびたびレポートしてきたわけだが、一方で苛酷さゆえの成功譚や失敗譚といったものを書き続けることに、ある疑念を覚えるようになっていた。もちろん、彼らの情熱や労力を否定するつもりはない。そうではなくて「もう少し無理せずにクラブが発展していくプロセスがあっても良いのではないか」と考えるようになったのである。

浦安の場合、スタートはサッカー少年の保護者たちによる任意団体だった。6年生の保護者が役員となり、自治体からグラウンドを借りてコーチを雇い、市内のリーグ戦や県の大会を戦った。やがて卒業生の受け皿として、ジュニアユースチームやユースチーム、さらにはトップチームが作られる。トップチームも県の3部リーグから参戦し、年月をかけてひとつずつカテゴリーを上げていった。06年からJFLを意識するようになり、関東リーグに上がってからはチーム強化や体制づくりが加速していったが、それでも「無理をしている」という雰囲気は微塵も感じられない。ゆっくりと成長していった先に、アマチュア最高峰のカテゴリーに辿り着いた、というのが実際のところだろう。

まさに絵に描いたような「地域密着」。ただし、今季のJFLのゲームを彼らは地元・浦安で戦うことができない。昨年、関東リーグで使用していた浦安市運動公園陸上競技場は人工芝のため、JFLの開催基準を満たしていないためだ。したがって今季のホームゲームのほとんどは、柏の葉公園総合競技場で行われる。今のところ自治体には、スタジアムを改修する予定も意思もなく、クラブ側も「JFLで頑張る」とは言っているが「Jを目指す」とはなかなか言い出せない状況だ。

浦安がこれまで歩んできた道のりと、これから直面するであろう厳しい現実は、地域密着のあり方と自治体のスポーツ行政を考える意味で、非常に示唆に富んだものとなっている。今回のレポートは3月7日発売予定のフットボール批評に掲載予定なので、ぜひともご覧いただきたい。

<この稿、了>

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