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【無料記事】「オシムさんの言葉に正直どきっとしました」 『ぼくたちは戦場で育った』訳者・角田光代さんに聞く

先日、作家の角田光代さんにインタビューする機会があった。普段、サッカー界隈で仕事をしている私と、サッカーにまったく縁のない直木賞作家の角田さんとをつなぐものは何か? それは彼女が手にしている『ぼくたちは戦場で育った』(集英社インターナショナル)である。

この『ぼくたちは戦場で育った』は、当メルマガでもお馴染みの千田善さんが「監修」として名を連ねているので、ご存じの方もいらっしゃるだろう。本書は、ボスニア戦争時代(1992〜95年)のサラエボで子供時代を過ごした数千のメッセージから厳選されたものが収録されている。ショートメールで募集したため、いずれも160文字以内の短いものだが、そのストレートな言葉の数々は20年の時と文化の壁を超えて、われわれに強く訴えかけるものがある。

私は当初、千田さんの人脈によって本書の日本語訳が実現したと早合点していた。ところが実際には、NHK-BSの『旅のチカラ』という番組で、角田さんが2013年にサラエボを訪問し、そこで本書の著者であるヤスミンコ・ハリロビッチさん(戦争勃発時4歳)と出会ったことから、日本語訳の話がスタートしたという。つまり角田さんがサラエボを訪れなかったら、この本が日本に紹介されることはなかったのである。

3月17日、ヤスミンコさんの来日に合わせて行われた『戦場、それでもぼくたちは笑った』というトークセッションの際に、本書ができた経緯について角田さんにお話を伺うことができた。ここに彼女の言葉を再現する。

サラエボがどこにあって、どんな街なのか、現地に行くまでまったく知りませんでしたね。たまたま『旅のチカラ』を担当していたNHKのプロデューサーから「どこか行きたいところはありませんか?」と言われて、「逆に、どこかお勧めのところはあります?」って聞いたら、「今まで訪れた中で、サラエボが最も美しかったです」って言われたので、それで行くことにしたんです。

サラエボのイメージですか? まったく何も。冬季五輪が(84年に)行われたことも、あとで知りました。私、五輪とか見ないし(笑)。ボスニアの内戦のニュースも「何となく」という感じで、むしろ湾岸戦争の記憶が強かったですね。サッカーも見ないので、オシムさんのこともぜんぜん知らなくて(苦笑)。プロデューサーから向こうの映画のDVDを借りて観たんですけど、背景が複雑すぎて理解できなかったというのが正直なところでした。

サラエボの第一印象は「きれいなヨーロッパの都市」という感じ。でも2〜3日滞在するうちに、戦争があったことを感じさせるモニュメントとか、壁に今も残る銃撃の跡とかを見て、次第に認識を改めました。衝撃的だったのが、爆撃でお子さんを亡くされたお母さんにインタビューをした時です。いきなりうわーっとまくしたてて、こちらが質問しようとしても遮って話し続ける。今まで何回も取材を受けているからか、何だかパフォーマンスのような感じになっていて、ものすごく痛ましく感じられて。その時の映像は、結局番組では使われませんでした。

ヤスミンコくんと出会ったのは、サラエボの書店でした。すでにこの本が並べられていて、そこで対談をさせていただいたんですけど、とてもクレバーだし、それまで会った人の中で最も言葉にリアリティが感じられましたね。ただその時は、(ボスニア語で書かれてあって)この本を読めなかったんですね。それで、ほんの軽い気持ちで「日本語で読めればいいな」って言ったんです。私としては「誰かが訳してくれればいいな」みたいな感じだったんですけど、プロデューサーが「この人が翻訳したいと言っている」みたいな話をして、それからあれよあれよと(笑)。

結局、乗りかかった船というか、自分で言い出したことなので、翻訳を引き受けることにしました。それで、まずは英語の下訳を作ってもらったんですけど、それがとてもわかりづらくて。そしたら、千田さんが監修を引き受けてくださることになったんです。千田さんは、社会背景から当時の流行歌からチューインガムの名前まで知っていたので、とても助かりましたね。翻訳作業は1年半くらいかかりましたけど、終わってみれば去年の私の仕事の中で、一番意義があるものだったと思っています。世の中がどんどん変わっていく中で、戦時下に子供だった人たちの生々しい声を届けることができたのは、本当に良かったなと。

巻末に、オシムさんからのメッセージをいただきました。聞いた話ですが、オシムさんは政治的な話を一切しないし、こういった本に寄稿することもすごく珍しいそうですね。文章の中でオシムさんは「日本人は戦争がどんなに勘定に合わないものかを知っている。それで平和的な国民なのだ」と書いていますが、その言葉に正直どきっとしました。「本当にそうなのかな」って、ちょっと複雑な気分になりましたね。先ほど「世の中がどんどん変わっていく」と言いましたが、サラエボを訪れた3年前と今とでは、だいぶ状況が変わっていると実感しています。だからこそ、去年のタイミングでこの本を出すことができたことに、深い意義を感じています。

私自身、これまで戦争の時代を背景にした小説は2冊あります(『ツリーハウス』と『笹の舟で海をわたる』)。直接、戦争を描いたわけではないんですけど、日本の文壇って、若い世代の作家が戦争を題材とした小説を書こうとすると、すごく批判を受けるんですよね。とくに上の世代から。欧米の30代、40代の作家は、もっと自由に戦争を描いているんですよ。そうでないと、戦争について何も伝わらないと思うんですよね。「お前は本当の戦争を知らない」なんて言われてしまうと、誰も何も書けなくなってしまう。そういう危機感は覚えますね。

重版ですか? 実はまだなんですよ。自分の本の部数で考えると、本当はもうちょっと伸びてほしいんですけど。新聞の書評欄でも取り上げられたし、私自身も宣伝しているんですけど、遠くの国でかつて起こった戦争ということで、興味が持たれにくいのかもしれない。でも、こういう時代だからこそ、ぜひ手にとっていただきたいと思っています。

<この稿、了>

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