宇都宮徹壱ウェブマガジン

【無料記事】ひたすら九州の地に思いを馳せながら サッカーファミリーのひとりとして考えていること

 このたびの九州地方の大地震で被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。被災地においては、一日も早い復旧をお祈り申し上げます。

 熊本や大分を中心とした九州地方は、4月14日から断続的に続く地震に苦しめられている。私自身は、サッカーに寄り添いながら写真を撮ったり文章を書いたりすることを生業としている人間であり、こうした自然災害に関する知識もなければ、被災地支援に関するノウハウもまったく持っていない。よって、今の私にできることは、募金をすること、そしてかの地のことを思い続けることだけである。

 今も大地が揺れ続けている九州について、まずは個人的な思い出を書き連ねていくことにしたい。私の旅の記憶は、そのほとんどがフットボールの風景とひも付いている。九州各県についてもしかり。私が熊本を初めて訪れたのは、2005年10月に熊本県民総合運動公園陸上競技場(現うまスタ)で開催された九州リーグの取材であった。

 九州リーグはホーム&アウエーではなく、2節ごとにセントラル開催で行われる。このシーズンは、ロッソ(現ロアッソ)熊本、FC琉球、V・ファーレン長崎、ニューウェブ(現ギラヴァンツ)北九州といった、のちにJリーグに到達するクラブが熱戦を繰り広げていた。ある意味、私が地域リーグの魅力にはまる決定打となったのが、この熊本での取材だったと言っても過言ではない。余談ながら、このシーズンにリーグ優勝したロッソ熊本は、地域決勝でも3位となり、JFL昇格を果たしている。

 次に熊本を訪れたのは、09年1月20日のアジアカップ予選・対イエメン戦。熊本での日本代表戦は、これが初めてであった。当時のスタメンを確認すると、のちにワールドカップメンバーとなる選手たちが、いずれもキャップ数1桁であったことに気づく。川島永嗣が1、岡崎慎司が4、香川真司が6、といった具合。

 ちなみに、昨年代表に復帰した金崎夢生は、88分に途中出場して初キャップを刻んでいる。だが、最も観客を沸かせていたのは、60分に地元出身の巻誠一郎がピッチに送り込まれた時であった。この熊本取材では、試合日を勘違いして予定より早くに現地に到着してしまったという、何ともマヌケな記憶がある。しかしそのおかげで、今回の地震で大きな被害を受けた熊本城も観光することができた。

 熊本とともに、一部で大きな被害が出ている大分もまた、私にとって思い出深い土地である。初めて訪れたのは02年のワールドカップで、カードはスウェーデン対セネガル。大分駅前でバスを待っているセネガルのサポに、カメルーンのサポが「俺たちの分も頑張ってくれ」と激励する姿を見て、「これぞワールドカップの風景」と感動したことをよく覚えている。

 大分については、その後も何回かの代表戦に加え(ヴァイッド・ハリルホジッチ監督の初陣もここだった)、トリニータや全社や地域決勝の取材でもたびたび訪れている。徹マガに登場していただいた同業のひぐらしひなつさんをはじめ、現地にはサッカーを通じて知り合った仲間も少なくない。今のところ、私に近い人からは被災したという話は伝わってこない。それでも、余震のたびに不安な夜を過ごしていることを思うと、何ともいたたまれない気持ちになる。

 5年前の東日本大震災と同様、今回も「自分が何をなすべきか」について、いろいろと逡巡することが少なくない。そんな中、この1週間でサッカーファミリーの支援の動きも始まっていることには、かすかな希望を感じる。小笠原満男や植田直通ら鹿島アントラーズの選手たちの現地への慰問がそうだし(参照)、Jリーグでも村井満チェアマンが熊本に対策本部を設置することを明言している(参照)

 こうした明るいニュースがある一方で、熊本でのJリーグ開催の見通しがまったく立たないという厳しい現実も、われわれは受け止めなければならない。震災発生から1週間後の21日には、5月7日まではホームとアウエー含めてロアッソの試合が中止となったことが発表された(参照)

 なかなか余震が収まらない中、ネットやTVでは「広域避難も選択肢のひとつに加えるべき」という意見を見かけるようになった。ロアッソについても、うまスタが救援物資の拠点となっていて使用が困難であることから、本拠地を一時的に移転する案が浮上するかもしれない。だが、家族を残してまで熊本を離れることを、選手やスタッフに求めることが果たしてできるだろうか。

 Jリーグは今後、代替試合の日程や会場の確保などで、大いに頭を悩ませることになるはずだ。とはいえ、5年前のベガルタ仙台のような役割をロアッソに求めることについては、周囲は慎重であるべきだとも思う。言うまでもなく当時と今回とでは、災害のタイプもクラブを取り巻く状況も大きく異なるからだ。Jリーグには、くれぐれも慎重かつ柔軟な対応をお願いしたい。

 復興支援は「長期戦」になる。サッカーのチカラで被災地の人々を励ますのは、事態が収束してからでも決して遅くはない。今はひたすら九州の地に思いを馳せることしかできないが、いずれ訪れるであろう「反撃」のチャンスを私も待ち続けることにしたい。

<この稿、了>

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