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【無料記事】衝撃の「0−4」を4年のスパンで考える 今日の現場から(2016年5月7日@味スタ)

5月7日は味スタにてJ2リーグ第12節、東京ヴェルディ対松本山雅FCのゲームを取材した。この試合に関しては、ヴェルディに寄せたコラムをスポナビから出す予定なので、ここでは山雅視点で考察することにしたい。

前半8分の宮阪政樹が直接FKを決めて先制、さらに高崎寛之がPK1つを含むハットトリックを達成して、山雅が4−0で勝利したこの試合。反町康治監督は「数字だけ見れば『快勝』と書かれるのだろうが、内容的には(ヴェルディと)大差なかった」と語っていたが、いささかの謙遜が含まれていると見てよいだろう。試合はほとんどの時間帯を山雅が支配していたし、とりわけオフ・ザ・ボールの動きの質では明らかにヴェルディを凌駕していたからだ。

 これまでの両者の対戦成績は、6戦して山雅の3勝2分け1敗。味スタで山雅が勝利したゲームも2試合あるので(スコアはいずれも3−1)、結果についてはさほど驚くべきものではない。それでもヴェルディにとって「0−4」というスコアは、衝撃以外の何ものでもなかったはずだ。忍耐強いことで知られるヴェルディのゴール裏が、この日ばかりは試合後に怒りを爆発させていたのも、心情的には理解できる。

衝撃の「0−4」というスコアを山雅視点で考えるとき、個人的に最も響いたのが、反町監督のこの発言であった。

「われわれがJリーグデビューした時、ヴェルディには何もできませんでした。それを考えると、チームも進歩したなと嬉しく思いました。このクラブに携わる全員が努力した結果でありますし、さらに皆さまを喜ばせられるよう、どんどん突き進んでいきたい」

その試合は、私も見ている。2012年シーズンの開幕戦となった3月4日、味スタでの対ヴェルディ戦。山雅は観客数では圧倒していたものの(1万2432人の入場者数のうち、山雅側は6855人という記録が残っている)、試合は0−2で敗戦。スコア以上に力の差を感じさせる内容で、就任1年目の反町監督も「90分間戦える体力がまだできていない」と反省の弁を述べている。

 あれから4年。山雅は反町監督のブレない指導の下、着実に実力をつけていったのは周知のとおり。ルーキーイヤーの12年は12位に終わったものの、翌13年はプレーオフ進出まであと一歩の7位となり、14年は2位でJ1に自動昇格。15年のJ1でのチャレンジは1シーズンで終わったものの(年間16位)、チームもクラブもトップリーグでの経験で多くのことを学んだ。指揮官が4人変わり、順位も7位(12年)、13位(13年)、20位(14年)、8位(15年)とアップダウンを繰り返してきたヴェルディの4年間に比べると、やはり強化の一貫性と経験の充実度という点で開きを感じてしまう。

 両チームのチームカラーが同じことから「グリーンだよ!全員集合!」と銘打たれた今回の対戦。実は山雅のユニフォームがグリーンになったのは、Jリーグ黎明期に圧倒的に強かったヴェルディにあやかってのものであったと、当時のチーム関係者から聞いている。それからおよそ四半世紀、そしてJリーグでの初対戦から4年。ついに両者の立場は完全に逆転してしまった。それを象徴するようなゲームに立ち会えたことに、深い感慨を覚える。

<この稿、了>

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