宇都宮徹壱ウェブマガジン

篠原美也子の月イチ雑食観戦記 最終回 「いのち」の理由

■『笑点』と父方のおばあちゃんちの思い出

 いまなぜか、ちゅうにの息子界隈で『笑点』が大人気である。毎週ビデオに録ってゲラゲラ笑いながら見ており、笑いのツボは時代を超えるのだなあと感心する。時々一緒に見るのだが、十年一日の如く、相変わらず愉快だ。普遍、と呼ぶほど堅苦しくはなく、よく知っていた場所が、久々に訪れたら全然変わってなくてホッとする感じ。噺家の確かな話芸に依るところも大きいのだろうが、高齢の歌丸師匠の葬式ネタ香典ネタ始め各種のブラックジョークは正しく楽しかったし、今度は新司会者昇太が、結婚出来ないネタでいじられるのが楽しみだ。

 その『笑点』、50周年、だそうである。ま、まじか、とのけぞったが、考えてみれば私が小さい時すでに不動の人気番組だったんだから、そうか、それくらいになるんだなと、あらためて時の流れを振り仰ぐ。

 私にとって『笑点』と言えば、子どもの頃、親戚の集まりで行った父方のおばあちゃんちの思い出と結びついている。日曜日、大人たちは早くからわいわい飲んで話をして、子どもたちはそのバックで点いていたテレビを眺めて過ごした遠い日の夕方。当時の大喜利司会者は、三遊亭圓楽(五代目・故人)。いまの六代目円楽はまだ楽太郎の時代。歌丸さんも木久蔵さんも若かった。いまのたい平のポジションには師匠のこん平がいて、毎週「こん平でえーーーーす!!」とやっていて、おばあちゃんはいつも「うるさいねえ」と言っていた。

 歌は世につれ世は歌につれ、じゃないけれど、思い出はいつも詰め合わせになっていて、たわいないこと同士が芋づるでつながっているもの。拙著『スポーツに恋して』の中にもすこしだけ書いたが、そんなふうに、やはりおばあちゃんちとセットになって記憶が始まっているものがもうひとつある。大相撲、である。

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