宇都宮徹壱ウェブマガジン

アイリッシュの「魂の叫び」に心打たれる 短期連載『徹壱の仏蘭西日記』第3回 6月13日(月)@パリ

■テロの影響を感じさせない「日常の強靭さ」

 フランス滞在3日目。ここ数日のパリは、気温が20度を越えることはほとんどなく、時おり雨も降るので朝晩はけっこう肌寒い。今朝は寒さで5時半に目が覚めた。そのまま午前中は執筆作業、それから今日訪れる目的地へのアクセスを確認する。住所は「10 rue Nicolas Appert 75011 Paris」、そして「50 Boulevard Voltaire, 75011 Paris」。いずれもパリの観光名所ではないが、ある時、突如として世界中の注目を集めることになった場所だ。

 種明かしをしよう。前者は2015年1月7日に起こった『シャルリー・エブド襲撃事件』の現場(つまり『シャルリー・エブド』の本社がある場所)。そして後者は、同年11月13日に発生したパリ同時多発テロ事件で、89人が死亡したバタクラン劇場がある場所である。1月7日の事件はアジアカップ取材中のメルボルンで、そして11月13日の事件はワールドカップ・アジア2次予選取材中のプノンペンで、その衝撃的な報道に接して茫然とした。と同時に、EURO取材でパリに行った折には、絶対に現場を訪れようと固く決意していた。

 グーグルマップで確認すると、いずれも私のアパルトマンから歩いて行ける距離だ。しかも『シャルリー・エブド』本社からバタクランまでは徒歩10分以内。11月13日のテロは、サンドニのスタッド・ドゥ・フランスを除き、いずれもパリの東側で発生していることはよく知られているが、『シャルリー・エブド』も同じエリアだったとは知らなかった。テロ発生の一報を受けた地元警察は「またあそこか!」と思ったことだろう。

 バタクランに向かう途中、レピュブリック広場にあるモニュメントに多くの生花やメッセージが添えられてあったので、手を合わせてから撮影する。今はここが祈りの場となっているようだ。対照的に事件現場は、いずれも日常の中に埋もれていた。さすがにバタクランは大規模な改修中だったが、『シャルリー・エブド』が入っているビルは、犠牲者のイラストが「Je suis Charlie(私はシャルリー)」というメッセージと共に壁に描かれている以外、特に追悼を感じさせるモニュメントは見当たらない。編集部は今日も通常業務のようだ。何でもない日常がそこにあることに、私は静かな感動を覚えた。

 2つのテロ現場を歩いてみて、強く感じたことがある。それは、「パリ市民の日常はテロの恐怖に勝る」ということだ。確かにスタジアム周辺、あるいは空港や駅などでは武装警官を数多く見かける。しかしそれ以外の場所では、テロの脅威を身近で感じることはまずなかった。一時は「開催が危うい」とも囁かれてEURO2016。しかしいざ始まってみれば、今大会は地元市民の「日常の強靭さ」に支えられ、(イングランドとロシアのサポーターが衝突したマルセイユでの事件を除いては)今のところ順調にスケジュールを消化している。

(残り 1977文字/全文: 3197文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

日本サッカーの全てがここに。【新登場】タグマ!サッカーパック

会員の方は、ログインしてください。

1 2
« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ