広島を解雇された男がインドでスター選手になるまで 遊佐克美(ノースイースト・ユナイテッドFC)インタビュー<1/2>
遊佐克美というフットボーラーをご存じだろうか? サンフレッチェ広島のサポーターなら、その名を記憶している人が少なくないのではないか。広島ユース出身で、07年にトップチームに昇格する。その後、3シーズンを広島で過ごしたものの、公式戦出場はわずかに3試合。3年目の09年には、当時北信越1部だったツエーゲン金沢に期限付き移籍するも、ここでも振るわず。結果、金沢からも広島からも「いらない」と宣告され、県1部だったFC岐阜SECONDに移籍して、09年いっぱいで日本でのキャリアを終えている。
ここまでなら「わりとよくある話」なのかもしれない。しかし翌10年、遊佐のキャリアは突拍子もない方向で続いてゆく。日本を飛び出して、向かった先は南米パラグアイ。そこで2部のサン・ロレンソでプレーのチャンスを掴むと、今度はインドで新たなキャリアを切り開く。現地では、ONGC(オイル&ナチュラルガス・コーポレーション)FCとモフン・バガンACという2クラブでプレー。とりわけ後者は、1889年に設立されたインドを代表する名門クラブであり、そこで遊佐は背番号10を付けてプレーしている。
そして今季、遊佐はISL(インド・スーパーリーグ)に参戦することが決定した。ISLといえば、アドリアン・ムトゥ(プネー・シティ)、ニコラ・アネルカ(ムンバイ・シティ)、ロベルト・カルロス(デリー・ディナモス)といった世界中のスター選手を集めて行われている、もうひとつの国内リーグ。昨シーズン、和泉新(アトレティコ・デ・コルカタ)が参戦して話題になったが、和泉は国籍をインドに変更しているため、遊佐が「日本人初のISLプレーヤー」となる。(参照)
果たして、広島を解雇された男はどのような過程を経て、インドでスター選手になったのか? そこには、いかにもありがちな「サクセス・ストーリー」とは真逆の現実があった。今回は株式会社ジェブエンターテイメントさんのご厚意により、帰国中の当人へのインタビューが実現。アテンドでご協力いただいた、同社の仁科佳子さんには、この場を借りて御礼申し上げたい。(取材日:2016年6月24日@東京)
■ISL初の日本人プレーヤー
──今日はよろしくお願いします。去年の5月にコルカタでお会いして以来ですが、インドでの生活はもう5年になりますか?
遊佐 向こうに行ったのは2011年なんですけど、最初のシーズンは1月から6カ月間。次のシーズンにチーム(ONGC FC)が2部に落ちてしまったので、翌年の1月から半年間。3年目がフルでプレーしました。だから年数だと5年半で、シーズンでいうと6シーズンを終えたところですね。
──となると、インドでのプレーや生活もだいぶ慣れたと思いますが。
遊佐 インドでは「仕事」という感じですかね。まだサッカーが楽しいという感じではなくて、毎日一生懸命仕事をしているっていう気持ちでやっています。最初の頃は「インド経由でヨーロッパへ」みたいな夢を思い描いていたこともありましたが(笑)、そんなに甘い世界ではない。だから「仕事でここにいる」という想いが、今は強いですね。
──そんな遊佐さんが今回、初のISLプレーヤーとしてノースイースト・ユナイテッドFCの一員となるわけですが、これはドラフトで指名されたんでしょうか?
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