【サッカー人気5位】失点シーンを忘れさせてくれる3ゴールを…

宇都宮徹壱ウェブマガジン

広島を解雇された男がインドでスター選手になるまで 遊佐克美(ノースイースト・ユナイテッドFC)インタビュー<2/2>

インタビュー<1/2>はこちら

■インドでプレーしながら日本でアルバイト

──インドでの移籍が決まるまで、どうやって生活していました?

遊佐 実家で暮らしながら派遣の仕事をしていました。とにかく貯金がなかったですから。結婚式のウェイターをやったり、宅急便の会社の倉庫で働いたり、あとは着ぐるみのバイトとか。時給1000円で、8時間働いて8000円。週末はそれをもらうために、ずっと働いていましたね。

──ずっとバイトを続けながら暮らしていたと。言ってみれば選手としてブランクがあったわけですよね。サッカーを諦めかけたことは?

遊佐 なかったです。だからトレーニングはずっと続けていました。ランニングしたり、ジムで筋トレしたり。自分を受け入れてくれるチームがあるかどうか、それはわからなかったけれど、とにかくトレーニングは続けないと、というのはありました。

──そうした生活はどれくらい続いたんですか?

遊佐 日本に戻ってきたのが2010年の9月くらいで、ジェブさんから「インドでトライアルがあるけど興味あるか」っていう連絡が来たのが、次の年の1月でした。それがONGC FCというクラブで、マハーラーシュトラ州のムンバイにあるクラブなんですけど。ちょうど連絡もらったとき、広島で洋次郎くんとダーツをやっていて「こういう話があるんだけど、断る理由はないよね」って。それですぐに実家に戻って、すぐに現地に飛んで。

──何の予備知識もなく、いきなりインドですよね? 不安はなかったんですか?

遊佐 ワクワク感しかなかったですね。そしたらロストバゲッジに遭って(笑)。チームとは遠征先で合流することになっていたので、荷物はあとで届けてもらうことにして、僕はスパイクも持たずに夜行列車に12時間乗って、監督に会ったのは朝だったんです。

──テストはどんな感じだったんですか?

遊佐 すごく固いグラウンドで3~4日くらいやりましたかね。そのあとONGCの試合を見たんですけど、みんな動きがめっちゃ遅かったんです。正直「これは余裕じゃん」って思っていたら、オーナーから「契約しよう」と言われました。

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