宇都宮徹壱ウェブマガジン

リオ五輪を起点に考える「4年前」と「4年後」 わずか3戦でブラジルを去る「手倉森JAPAN」に寄せて

 リオ五輪の開幕式からわずか5日目にして、日本のサッカー競技は終了となってしまった。体操や水泳や柔道でメダルラッシュが続く中、サッカーファンだけは歓喜の輪から微妙に外れてしまった感がある。いずれ「手倉森JAPANの真実」みたいな記事も出てくることだろうが、TV桟敷で観戦していて個人的に感じたことを、この機会に記しておくことにしたい。

 やはり初戦の入りの悪さがすべてだったと思う。システムをいつもの4-4-2ではなく4-3-3としたこと(久保裕也の招集断念による苦肉の策だったのであろう)。今季のJリーグで出場機会のないGKをファーストチョイスしたこと。これらの判断がいずれも裏目に出てしまったことに加えて、「忍耐のサッカー」というスタイルが序盤での失点で早々に崩れてしまった。もちろん4ゴールを挙げたのは立派だが、守備陣のミスから5失点してしまっては、たとえブラジルであっても勝てる見込みはない。

 続くコロンビア戦については、本来のスタイルを取り戻し、2失点から2ゴールで追いついたことは評価すべきだろう。だが、グループリーグ突破の可能性を残しつつも、「他力」にすがる結果で終わらせてしまったことは悔やまれる。結果、3試合目のスウェーデン戦には1-0で勝利したにもかかわらず、裏の試合でナイジェリアがコロンビアに0-2で敗れたため、ここに日本の終戦が決まった(決勝トーナメントに進出したのは、ナイジェリアとコロンビア)。

 今回のリオ世代は、手倉森誠監督が言うところの「世界を経験していない選手と監督」によるチームであった。五輪のアジア予選がセントラル方式(AFC U-23選手権)に変更されたこともあり、出場そのものが危ぶまれた時期もあった。そう考えるなら「ここまでやれて上出来」という見方も可能かもしれない。とはいえ、今大会で彼らが見せた復元力や決定力を考慮するなら、グループリーグ突破の可能性は十分にあったと思うし、決勝トーナメントでさらなる経験値を積むこともできただろう。

 だがしかし、すべてが終わってしまった今となっては「たられば」を言っても仕方ない。ここでは今回のリオ五輪について、「4年前」と「4年後」という時間軸の幅を持たせながら考察してみることにしたい。

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