宇都宮徹壱ウェブマガジン

「サッカー業界のタブーを打ち破っていきたい」 MCタツインタビュー <2/2>

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■「サッカーに関する知識では、外でも十分やっていける」

――ロンドン留学から戻ったのは、04年の8月ですか?

タツ そうです。その前にポルトガルで開催されたEUROも楽しんで、でも2年前のワールドカップよりも盛り上がっていたことに衝撃を受けながら戻ってきました。

――その後、すぐにサッカー業界には潜り込むことはできたんでしょうか。

タツ 厳しかったです。ちょっとだけ飲食店で1カ月間ぐらい適当にバイトして、ようやく某スポーツ紙のバイトに受かって、それが僕にとってのメディアの入り口でした。いわゆる編集アシスタントで、業界では「ボーヤ」と呼ばれていたんですけど、コピー取りなんかの雑務が多かったです。ただしアルバイトでも、給料も手当てもすごく良かったです。

――正社員になる道は?

タツ それはないです。どこの新聞社も新卒しか採用しないです。でも正直、「この人たちよりサッカーの知識は自分のほうが圧倒的だ」と思いました。細かいルールについて、デスクに「これ、間違っていますよ」って突っ込んだり、写真に映っている選手も僕のほうがわかっていたり。だから、サッカーに関する知識では、外でも十分やっていける自信はありました。

──その後、『速報サッカー24』という携帯サイトをやっていたネットドリーマーズに就職して、清義明さんの下で働くわけですが、これはいつごろですか?

タツ 2005年から1年間です。ここの職場で清さんをはじめ、今でもお付き合いのあるサッカー業界関係者の皆さんにお会いするわけですが、06年のワールドカップで日本代表の成績が悪かったので、一気に氷河期が来てリストラされました(笑)。ていうか、僕のほうから「辞めます」と手を挙げたんですけど。

――さらにその後、草サッカーのサポーティングカンパニーであるスリーラインに転職して、ここでサポティスタの創設者であるハマムラシンヤさんに出会うと。清さんといい、ハマムラさんといい、まるで狙ったように強烈な人たちの下で働いていたんですね(笑)。

タツ そのあとも、スクワッドで山田泰さん、フロムワンで岩本義弘さんという個性豊かで凄腕な人たちに、ひと通りお世話になりましたから(笑)。実はスリーライン時代が一番長くて、5年勤めました。それだけ楽しかったですし、サッカー界の人脈が思い切り広がったし。宇都宮さんと出会ったのもこの頃だったと思います。

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