宇都宮徹壱ウェブマガジン

「エアインタビュー」問題の本質は何か?  佐山一郎(作家・編集者)インタビュー<1/2>

 ノンフィクション作家の田崎健太氏による「エアインタビュー」に関する告発記事が、狭いサッカー業界を超えて大きな議論を呼んだのは、今から1カ月半前の9月20日のことであった。当時の状況について、私は当WMのコラムで、このように評している。

 今回の状況をわかりやすく言い表すとしたら、「多摩川の河川敷で見つかった不発弾が、なぜか銀座のど真ん中に持ち運ばれて爆発・炎上した」ということになるだろうか。読者の数を通行人の数で見立てるならば、まことに遺憾ながらサッカー専門誌は「河川敷」、Yahoo!は「銀座のど真ん中」となる。あまりに人通りの多いところで爆発・炎上したために、当事者のみならず業界そのものが少なからぬ痛手を受けることとなった。

 その後、もともとの糾弾記事を掲載した『フットボール批評』の版元であるカンゼン社と、「エアインタビューの疑惑あり」とされた『ワールドサッカーキング』の版元であるフロムワン社との間で、反論と非難の応酬がネット上で展開されたが、現在は白黒付かない状態で収束状態となっている。

 しかし今月7日に発売予定の『フットボール批評issue14』の目次には、「エアインタビュー撲滅キャンペーン第4弾 闇の深淵/田崎健太」とあり、この問題をあらためて取り上げることが銘記されている。9月20日の時のようなインパクトはなくとも、収束していた問題が業界内で蒸し返される可能性は十分に考えられよう。

 個人的には、これ以上の究明は困難を究める上に、不毛な議論の応酬は読者を辟易させるばかりであると考えている(また先の告発記事によって、一定の業界浄化はなされたのではないかとも思っている)。ただ一方で気になっていたのが、カンゼンとフロムワン、両の間で「インタビューの定義」に少なからぬギャップが感じられたことだ。

 フロムワンの岩本義弘氏(同社取締役、サッカーキング統括編集長)は、田崎氏が指摘した記事に関して「囲み取材及び記者会見のジダンの言葉から補足している」と反論。これに対してカンゼンの森哲也氏(フットボール批評編集長)は「囲み取材や記者会見をインタビュー記事として読ませるのは、れっきとした読者を欺く行為である」と再反論している。

 当初の「捏造記事」の問題が、いつの間にか「インタビューの定義」の問題にすり替わってしまったことが、今回の騒動をさらに複雑化させているのは、紛れもない事実である。その一方で、同じ業界仲間の間でも「インタビューの定義」がまちまちであることに気付かされたのは、この問題がもたらした「収穫」だったのかもしれない。当WMでも、これまで幾つものインタビュー記事を掲載してきたが、この機会に「インタビューとは何か」について、あらためて考察してみる必要があるのではないか。

 そこで思い当たったのが、私が「インタビュー取材の師」と仰いでいる佐山一郎さんである。これまで雑誌編集者として、そしてフリーランスの作家として、およそ1000人もの人間に取材を続けてきた佐山さんは、インタビューという取材手法について、どのような哲学をお持ちなのだろうか。そして今回の「エアインタビュー」問題を、どのようにお考えなのだろうか。東京・目黒の佐山さんのご自宅にお邪魔して、じっくりお話を伺ってきたので、ここに公開することとしたい。(取材日:2016年10月19日@東京)

■「これを書いたらオサラバか」という感情

――今日はよろしくお願いします。本題に入る前に、佐山さんの近況と言いますか、現在執筆されている著書についてお話を伺いたいと思います。タイトルが『日本サッカー辛航紀』。辛い本なんですか(笑)?

佐山 ネタをバラすと、2つの書籍からアイデアをもらっています。ひとつは、8月に亡くなられた柳瀬尚紀さんの『フィネガン辛航紀』(河出書房新社)。これは柳瀬さんが、ジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』を翻訳するのがいかに大変であったかというお話。辛いどころか、歯ごたえありすぎのご本。もうひとつが、ロナルド・ドーアの『幻滅』(藤原書店)。ドーアさんはイギリス人の社会学者で、90(歳)超えしています。日本を研究してきた「親日派」社会学者が、くまなく見てきた戦後日本70年がテーマの本で、いろんな時代の転換期をとらえながらも、最後に行き着いたのは「幻滅」の境地だったという。でも2冊ともユーモアを失ってはいませんし、そこがとても良いところ。

――つまり『フィネガン辛航紀』からタイトルを借りながら、ドーアの『幻滅』のように佐山さんの実体験を重ねつつ、日本サッカーの来し方を振り返るという作品になるんでしょうか?

佐山 そうなんですけど、予備考察としての蹴鞠の話から1964年東京五輪までの道のりも少しは押さえなければいけないですからね。1936年ベルリン五輪で日本がスウェーデンに勝った話ばかりでしょ。その次の試合でイタリアに0-8という大差で敗れてしまったことも、それ以上に重要なんじゃないでしょうかね。

――それ、私も感じていました! そうした前史というか、佐山さんが生まれる前の日本サッカー史を掘り起こした上で、ご自身のサッカー体験をプレーバックしていくと。やはり起点は、64年の東京五輪なんですね?

佐山 そうですね。だいたい10年ずつくらいで章を立てていて、ようやく70年代の終わりくらいまで来ました。この作業と並行しながらのサッカー関連の資料の山をどれだけ断捨離できるかということなんですけど。あっ、これ、2冊持っていたので一冊お土産にどうぞ。

――うわっ、72年の『イレブン』(日本スポーツ出版社)じゃないですか! ヨハン・クライフが「白いペレ」と紹介されているところに時代を感じますよね(笑)。この時代の日本サッカーをとりまく状況を書いたり調べたりしていて、いろいろと思い出すこととかあるのでは?

佐山 いろんなことを考えたり思い出したりしながら書いているんだけど、なかなか気持ちが乗らないこともあって。「これを書いて、オサラバか」と思うと、ふと寂しい気分にもなるし。

――「オサラバか」って、これが最後のサッカー本になるんでしょうか。

佐山 再来年の3月で私、65なんですよ。勤め人だったら、役員か社長にでもならない限りはそこで終わりでしょ。それはそれなりに理にかなっていてさ。集中力が続かないし、無理するとすぐ自律神経系の調子おかしくなる。好奇心はあるんだけど、サッカーライティングの情熱が以前ほどには湧いてこない。ずっと座っているのも身体に良くないよね。いろいろな人に会ってインタビューをしてきたんだけど、ここ何年かは「本にインタビューする」書評家としての仕事ばかり増えちゃいました。それで、ますます体調が悪くなる(笑)。

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