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「バルサスタイル」と決別した理由 羽中田昌(東京23FC監督)インタビュー<2/2>

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■「育成よりもトップチームのほうが性に合っている」

――続く09年は、徳島ヴォルティス・アマチュアに四国リーグ優勝を持っていかれて2位。地域決勝にも出場できず、2年で讃岐を去ることになりました。これは辞任ですか、解任ですか?

羽中田 辞任です。

――理由は何ですか?

羽中田 自分がそこにいると、このチームは上には上がっていけない。何か変化を起こさなければいけないということです。どこかクラブが自分に甘えているところが感じられて、クラブ自体の考え方を変えないといけないような気がして。あのまま自分が留任しても、結果が残らなかったと思います。

――確かに、次の年(10年)に北野(誠)さんが監督に就任して、讃岐はJFLに昇格するんですよね。

羽中田 そうなんですよ。だから、僕の判断は正解だったなって、今でも思います。

――北野さんが率いていた時は、守備ブロックをしっかり構築した負けないサッカーをやっていて、私は4年の間に3つの異なる讃岐のサッカーを見ていたわけですが(笑)、羽中田さんご自身は讃岐での経験をどう捉えていますか?

羽中田 チーム作りとは何か、ということについて選手たちと一緒に学んだ2年間でしたね。その一方で、チームが結果を残すために何が必要なのか、少しは考えるようになっていったと思います。

――讃岐の仕事が終わって、東京に戻ってこられたんですか?

羽中田 そうです。スカパー!でお世話になりながら、本を書いたりして過ごしていました。そんなときに、母校の韮崎高校からコーチのお話があって。やっぱり現場が好きなものですから、11年から山梨で暮らすようになりました。

――高校生を教えるのは、この時が初めてですか?

羽中田 いえ、それ以前に暁星高校でコーチをやっていましたから。韮崎では、BチームとかCチームの指導を任せられていたんですが、なかなか楽しかったですね。練習したり、一緒にバルサの映像を見たり。

――ご自身としてはシニアの指導と育成年代の指導、どちらが向いていると思います?

羽中田 うーん、育成は難しいですし、育成だけでやっていくのは限界があるのかなという気はします。むしろ僕の場合、戦略を立てて勝負するのが好きですし、そっちの現場のほうが自分を活かせるようにも思います。

――いろんなタイプの指導者がいますけど、育成型と勝負型ってはっきり分かれるものなんでしょうか?

羽中田 最近はわからないですが、これまではそういう分け方というのは厳密にあったと思います。もちろん育成型の指導者でも、能力が高い人はたくさんいますし、トップチームでも結果を出している人もいます。選手の能力を見極めたり、それを引き出したりする力というのは、トップチームでも求められることですから。

 ただ自分の場合、決して育成の現場が嫌いだったわけではないんですが、厳しく結果が求められるトップチームのほうが、性に合っているのかなと。そうした経験を積みながら、最終的には育成の分野でも指導していければいいなとは思っています。

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