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Jリーグが日本の風景にもたらしたもの 『百年構想がある風景』著者 傍士銑太インタビュー<2/2>

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■Jリーグにも「地方分権」を!

――ドイツが日本と違って一極集中にならなかったのは、もともと今の州単位で独立していた国々を糾合してドイツという近代国家が生まれたという歴史的背景があると言われています。確かにそうだったんですけど、日本は日本で幕藩体制の時代に300くらいの藩に分かれていたわけじゃないですか。この違いって、何に起因すると思いますか?

傍士 確かに明治以前の地方都市は、方言同士では言葉が通じないくらい「別の国」だったみたいですね。それが明治になって、早く列強に追いつかなければならないということで、時の政府が考えたのが、巨大なひとつのエンジンをローギア状態で駆け上がろうとしたこと。つまり、首都の東京に文化や経済などすべての機能を集中させることだったんですね。もちろん、当時の日本が中央集権的にやっていなければ、その後の発展はなかったかもしれません。ただし、高速道路走行循環に至ってもローギアだけの車で走るわけにはいかないですね。どこかで、社会のギアをドライブモードにして、地方分権に切り替える多様性をもつ必要があったと思います。

――中央集権から地方分権に切り替えるタイミングとしては、先の戦争がひとつのタイミングだったかもしれないですね。ただし戦後復興もまた、中央集権的に進められていきます。東京で五輪が、大阪で万博が開催されたのは、まさに象徴的でしたね。

傍士 当然、地方分権を望まない人たちもいたわけです。もっともそれは、政治家や官庁に頼るのではなく、市民自体が動いていくしかないという気もします。ドイツに「緑の党」ってあるでしょ? ドイツ語では「ディ・グリューネ」っていうんですが、政党を意味する「パーティ」が正式名に付いていないんですね。その理由は「われわれの組織は、中央政党が支部を作って生まれたのではない。全国に点在する環境保全活動の組織が集まったのが、緑の党だ」と言うんですよ。まさに、小さい単位から積み重ねてきたんです。

――緑の党から強引にJリーグの話につなげますが(笑)、Jリーグというのは確かに中央集権的なイメージはあるんですけれど、一方で地方クラブ同士のネットワークというものが確実にあるんですよね。だからこそ、5年前の東日本大震災にしても、あるいは今年の熊本地震にしても、迅速にクラブ単位で被災地支援活動をすることができたんだと思います。そういった、クラブ間のネットワークをもっと活かしていくというのが、今の時代には理にかなっているように思うのですが、いかがでしょう。

傍士 各クラブが、どういう意識を持ってやるか、かもしれないですね。例えば中国・四国におけるJリーグの発展は、東京を中心に考えることではなくて、広島や岡山や愛媛あたりで一緒に議論していくことだと思うんです。九州にしたって、今はあれだけの数のJクラブがあるわけだから「九州のJを盛り上げることについては、われわれに任せてください」の方がいいと思う。それこそが地方分権のスタイルです。これは余談になりますが、Jリーグ開幕前夜の時代というのは、政府も自治体も「日本における地域活性化問題」について検討する段階、そういうタイミングだったんです。だからこそ、Jリーグは機を得た具体的な起爆剤だったとみんなが思ったし、あれだけの客を集めることができたんでしょうね。

――なるほど。もともとJリーグも当初から打ち出していたのは、中央集権とは真逆の発想であったと私も思います。だからあえて、最初は首都・東京のクラブを作らなかったとも言われていますよね。

傍士 もうひとつ、Jリーグの出現により画期的だったのは、「ホーム」という言葉がスポーツに使われるようになったことです。ホームゲーム、ホームチーム、ホームスタジアム、ホーム&アウエー、そしてホームタウン。ただ、ホームタウンという言葉が、「行政」や「自治体」そのものと同義に使われているのはちょっと残念ですね。広島のスタジアムの問題も、ホームタウンのみんなが議論解決していくべき問題です。あながち行政だけの問題にしがちですが。

――まあ、新しいスタジアムを作るという話になったら、行政や自治体の理解や協力は必要となりますが、本来的な意味でのホームタウンというものは、より市民が主体となるイメージなんでしょうね。

傍士 そうです。ただ、Jリーグが最初に考えたホームタウンの概念は、やっぱり自治体だったと思うんです。オリジナル10のホームタウンに、政令都市が多かったのも頷けます。やがてJのクラブが増えていくと、甲府、鳥栖、松本とか、それほど規模の大きくない自治体をホームとしているクラブも活躍する。でも原動力は、自治体だけではなく、ホームタウンの人間なんですね。ホームタウンの概念の行きつくところは「人間復興」、ルネサンスですよ。スポーツがある暮らし・幸せとは何か、ということを人間中心に考えていくことなんだと思います。

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