宇都宮徹壱ウェブマガジン

【無料記事】これは「日本サッカー史の副読本」である 作家・中村慎太郎による『サッカーおくのほそ道』書評

 先月17日に発売となった『サッカーおくのほそ道』が、このほど増刷されることが決まった。

 日本のアマチュアサッカークラブという極めてニッチなテーマであり(それゆえ大々的な宣伝もできず)、しかも決して安くはない価格であったにもかかわらず、発売から1カ月以内で重版がかかるとは想像もしていなかった。お買上げいただいた皆様には、あらためて御礼を申し上げる次第。本当にありがとうございました!

 そんな折も折、友人で作家の中村慎太郎さんに『サッカーおくのほそ道』の書評を書いていただいた。「さすがは作家」という素晴らしい文体であったので、当WMで無料公開することにしたい。ネタバレは一切ないので、本書をまだご覧いただいていない方も安心してお読みいただければ幸いである。

「鹿島アントラーズがなぜ強いチームになったのか」

 この問いへの答えは簡単であろう。神様ジーコが来たからである。

 そこで他にどんな理由があるかと問われたときは人によって答えが違ってくるのではないだろうか。色々な意見があると思うが、この『サッカーおくのほそ道』の第1章、「Jリーグを目指さなかった理由 Honda FC」を読むと、ジーコによる「黒船的の改革」ではなく、不遇な時代に積み上げてきた「日本サッカーの土台」についても思いを馳せることが出来る。

『おくのほそ道』といえば江戸時代前期の俳人松尾芭蕉が残した紀行文である。

“夏草や兵どもが夢の跡”

 この句は、奥州平泉に立ち寄った際に読まれた句とされている。奥州平泉といえば、鎌倉時代には奥州藤原氏によって繁栄しており、兄の源頼朝と対立した源義経が逃げ延びてきた土地であった。義経は追い詰められ、31歳で自害した(生き延びてモンゴルにいって世界征服を始めたと主張する人もいるが)。

 奥州平泉には夏草しか生えていなかった。しかし、訪れた芭蕉の目には、かつての繁栄と悲しき英雄の姿が蘇ってきた。「兵どもが夢の跡」である。

 宇都宮徹壱氏の新著は『おくのほそ道』をオマージュしたものになると耳にした時に、「夢の跡」というキーワードを思い出した。単にサッカーの歴史、それもマニアックで微視的な情報が披露されている本ではないのだろうと感じた。メインストリームには乗れなかったが、歴史を作る上で重要な働きをした人々、あるいは団体に対する、思いが綴られた本になるのではないかと期待したのである。

 その思いが裏切られることはなかった。

 いや、ある意味裏切られた。

 想像以上の「夢の跡」が描かれていたからだ。ぼくはサッカー史についてそれほど詳しいわけではないものの、通り一遍の情報は頭に入っているはずだ。それにもかかわらず、この『サッカーおくのほそ道』ではまったく知らないことばかり描かれていた。そして、そのすべてが、マニアックな枝葉末節の事柄とは感じられず、非常に親密に感じられるのである。

「鹿島アントラーズがなぜ強いチームになったのか」について、宇都宮氏はこう指摘している。

ジーコの存在があまりにも大きかったためか、本田技研に対する評価が不当に低いように思えてならない。

 ジーコの偉業を低く見積もる必要はないしが、アントラーズが強くなった理由には、就業しながらも地道な練習を続けてきた本田技研のメンタリティも含まれるはずだという主張である。第1章はHonda FCについて書かれているのだが、それは単にアマチュアクラブの活動を紹介する記事ではなく、Jリーグ前史について新たな光を投げかけたものであった。

 以降の章でも「兵どもが夢の跡」が描かれていく。もちろん、それだけではなくて、未来への希望に溢れる章もあるし、J3の意義についてJリーグのしかるべき人物にインタビューした章なども含まれている。

『サッカーおくのほそ道』がどういう本なのかと考えてみると、日本サッカー史の「教科書」ではなく「副読本」というべきかもしれない。授業では使わず、試験にもあまり出ない。しかし、面白くて授業中にこっそり読み進めてしまう。そんな本である。

「教科書」にはオリジナル10のことばかりが書いてある。それ以外のクラブについてはあまり描かれていないはずだ。それはまさしく、鎌倉幕府を開いた源頼朝と奥州藤原氏の関係に似ている。メインストリームとなった鎌倉幕府については、詳細に検討されているのに対して、奥州藤原氏についての記述は非常に簡易的なのが「教科書」なのである。

 この本は宇都宮氏による執拗なまでの念入りな取材によって成立している。それは、試合終了直後の選手からインタビューを取るような取材とは大きく異なり、当時のことをほとんど覚えていない関係者の記憶を辿っていく「探偵的な取材」である。

 前者は、取材パスさえあれば誰にでも出来る(取材の質には差が出るが)。しかし、「探偵的な取材」は誰にでも出来るわけではない。推理小説のファンならよくわかると思うが、驚異的な体力と執念が求められるのだ。

「よくこんなに調べるられるよなぁ……」

 よく知らない選手、知らない地名、知らないクラブ。

 ツエーゲン金沢なら誰でも知っているが、フェルヴォローザ石川・白山FCについて、知っている人がどれだけいるだろうか。そして、検索してもそれほど多くの情報が得られないものについて、足を使って調べていくのはどれだけ労力がかかるのだろうか。

 SAGAWA SHIGA FCについての章なんて、もはやサッカー史というより、企業史の編纂のための取材である。だからこそ興味深い事実が浮かび上がってくるのである。

 ただ、「探偵的な執念」というと少し違うかもしれない。宇都宮氏はとても楽しそうに歩き回っているからだ。調べたこの本は、「教科書」ではなく「副読本」なので、楽しく書いてあるし、楽しく読むことが出来る。

 今年のオフシーズンは『サッカーおくのほそ道』を手にとって、「兵どもが夢の跡」について思いを馳せてみてはいかがだろうか。

中村慎太郎(作家)

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