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【無料記事】目指せ重版! 新著を部分公開します!『J2&J3フットボール漫遊記』<コンサドーレ札幌篇>

■道内出身の若い選手で固めたチームゆえに

 まずは、札幌のアカデミー組織の成り立ちから、振り返ってみることにしたい。

 夕張郡栗山町にある『ふじスポーツ広場』を拠点として、U-18とU-15が設立されたのが、1997年4月のこと。2年後の99年には、高1から高3までのメンバーが揃い、シーズン終了後には初のトップチーム昇格選手を送り出した。02年にはU-12が設立され、前年からスタートしたジュニアサッカースクールと合わせて、ここに未就学時から一貫した育成システムが確立されることとなる。                                    

 03年になると、クラブはこれまで以上に育成に力を入れることを発表。アカデミーの本拠地を栗山町から、札幌市東区東雁来に移転させた。この年に社長に就任した佐々木利幸のインタビューを読むと「どんなに貧乏であっても、育てることはしっかりやっていく。ほかの費用はカットしても、育成に関してはむしろ予算を増やしている」と明言している。

 それから10年も経たないうちに、札幌の育成は目覚ましい結果を残すようになる。11年、プリンスリーグ優勝チームによる東西プレミアリーグのプレミア・イーストで初代チャンピオンに輝くと、続く12年にはJリーグユース選手権大会でも初優勝。同年のJリーグアウォーズでは「最優秀育成クラブ賞」を受賞している。この2年でトップに昇格した選手は11名を数え、今ではトップチーム34名のうち、18名がアカデミー出身で占められるようになった(永坂勇人と中原彰吾は現在、タイリーグに期限付き移籍中)。

 今季より、トップチームの監督を務める財前恵一は68年生まれの45歳。彼もまた、札幌の育成を支えてきたひとりである。室蘭大谷高時代に、高校選手権でベスト4進出を果たし(87年)、高卒でプロとなるも度重なる怪我により96年に札幌で現役引退。翌97年、栗山町にできたばかりのU-15で、指導者としてのキャリアをスタートさせた。以後09年まで、トップチームのコーチも務めつつ、U-15とU-18のコーチや監督を歴任。その後、アビスパ福岡の育成コーチを3年間務めてから札幌に戻り、かつての教え子たちが多数所属するトップチームを率いることになった。

「GMの三上(大勝)さんからオファーをいただいたのが昨年の11月。その時に『これからは若いチームでやっていくから』と言われましたね。トップチームの監督は初めてでしたが、あまり悩まなかったです。『リスクが大きいからやめとけ』とか『若手が育つまで待った方がいい』とかアドバイスする人もいましたけれど、このタイミングを大事にしたかったし、札幌愛みたいなものもありましたから(笑)」

 日曜日の試合で2ゴールを挙げた荒野について質問してみる。すると「嬉しい部分もありましたけれど(プロ初ゴールが)遅かったですよね。高校生の時から試合に出ていたわけだし」とそっけない。さらに、こう続ける。

「実はその前の2試合、荒野は途中でベンチに下がっているんです。あの試合は、たまたま内村(圭宏)が怪我をしていたからスタメンをモノにできた。ウチの場合、余所と違って、ちょっと頑張ればチャンスがもらえる。若い選手ばかりだからね。逆に、そこが心配なんですよ」

 長年にわたって北海道で育成現場を見てきただけに、この人の言葉から、道内出身の若い選手で固めたチームの課題もおぼろげながら見えてくる。

「(今季)勝ち切れない試合が多いんですが、それは経験値に問題があると思います。調子が良いときはいいんですが、どこかバタバタしてしまうところもある。相手がいるわけだから、自分がやりたいことができない時間もある。考え方が甘いんですよね、若さもあるんでしょうけど。(北海道と比べて)関東のユースでやってきた選手の方が、厳しい環境でやっていますから、そこのメンタリティはやっぱり違いますね」

■北海道という土地の特殊性とは何か?

 ここであらためて、北海道という土地の特殊性について考えてみたい。

 前出のサポーターは、現在の札幌について「日本のビルバオ」という表現を使っていた。サッカーファンには言わずもがなであろうが、スペインのアスレティック・ビルバオは、基本的にバスク人およびその血統を受け継ぐ者のみにしか選手としての門戸を開いていない。その一方で、優れた育成メソッドとスカウト網を持っていることでも知られている。

 もちろん、北海道はバスク地方のように大きな文化的差異があるわけではないし、道産子はバスク人のように民族的な孤高を貫いているわけでもない。ただし、地政学的な「閉鎖性」という意味では、北海道にある種の「バスク的なるもの」を私は感じるのである。

 JFAの昨年の資料によれば、47都道府県の中で北海道の選手登録数は、東京都(8万9305人)、埼玉県(6万1415人)、千葉県(4万7271人)に次いで4番目の4万6938人を誇る。道内の人口が550万人であることを考えれば、他県と比べてかなりのサッカー人口を擁していると言ってよいだろう。母集団が大きければ、それなりの数のタレントが出てくる可能性も高くなる。

 しかも北海道は、8万3450平方キロの「巨大な島」である。欧州のオーストリアとほぼ同じ面積(8万3860平方キロ)に、プロサッカークラブはコンサドーレ札幌ただひとつ。となると、北海道のサッカー少年たちは必然的に札幌を目指すようになる(監督の財前によれば、最近は室蘭大谷よりも札幌のアカデミーを目指す子供のほうが多いそうだ)。しかも、関東や関西や九州のように、簡単に他県に流出することもない。

 こうした地理的な条件によって、札幌というクラブが、民族や文化といった大仰な理屈を抜きにして「ビルバオ化」する可能性は十分にあり得るのではないか――。もっとも、私の仮説に対する財前の反応は、あまりポジティブなものではなかった。道内の選手たちの可能性は認めつつも、競争できる環境が身近にないことに、指揮官は危機感を募らせている。

「こっちの子たちは、小さい時から(室内での)狭いスペースでやっているので、ボール扱いは上手いし、ボールタッチも柔らかい。ただ、さっきも言ったようにメンタル面では関東の子たちと比べて差はあります。その差を埋めるために『北海道だから、これくらいで良い』ではなく、全国を見越した感覚で教えてきましたし、道外での遠征も積極的に増やしました。去年の(Jリーグユース選手権大会での)優勝は、その成果だったと思っています」

 その上で財前は「競争という面では、まだまだですよね。ウチはU-18で活躍すれば、わりとすぐにトップに上がれてしまうので」と付け加えることを忘れなかった。そこには「巨大な島」だからこその悩みが、見て取れる。

※この続きは本書にて。

J2&J3フットボール漫遊記』

「おいでよJ2(J3にも)! J2&J3フットボール漫遊記』著者による前口上

Vol.01 昇格13年目の「Jリーグ元年」 水戸ホーリーホック (2012年・夏)

Vol.02 ネガティブをポジティブに変える力 ファジアーノ岡山 (2012年・秋)

Vol.03 「最もかわいそうな県職員」と諦めない監督 大分トリニータ (2012年・秋)

Vol.04 北の大地で始まった「のんのん革命」 コンサドーレ札幌 (2013年・夏)

Vol.05 降って湧いた「新スタジアム構想」 モンテディオ山形 (2013年・夏)

Vol.06 「ジェフ愛」を隠そうとしない人々 ジェフユナイテッド千葉 (2013年・秋)

Vol.07 バドゥ、日本を愛しすぎた男 京都サンガF.C.(2014年・春)

Vol.08 「黄金時代」から遠く離れて ジュビロ磐田(2014年・夏)

Vol.09 福島と湘南をつなぐもの 福島ユナイテッドFC (2014年・夏)

Vol.10 昇格度外視の意地の戦い ギラヴァンツ北九州 (2014年・秋)

Vol.11 去りゆくフォルランと「セレ女現象」 セレッソ大阪 (2015年・春)

Vol.12 旋風を巻き起こす謙虚な男たち ツエーゲン金沢 (2015年・夏)

Vol.13 夢のプレーオフ進出と堀之内の風景 愛媛FC (2015年・秋)

Vol.14 教員チームからJクラブへの遙かなる道 レノファ山口FC (2015年・秋)

Vol.15 外様の人々が思い描く「王国復活」の夢 清水エスパルス (2016年・春)

Vol.16 昇格と統合から「持続してゆくクラブ」へ 鹿児島ユナイテッドFC (2016年・秋)

Vol.17 J3Bリーグがある街にて ブラウブリッツ秋田 (2016年・秋)

Vol.18 「キング」の健在と「F」の記憶 横浜FC (2017年・春)

彫刻家の仕事、写真家の仕事 あとがきに代えて

<この稿、了>

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