宇都宮徹壱ウェブマガジン

徳島取材とキヅールとルヴァンカップ  徹壱の日記2017 10月30日(月)~11月5日(日)

10月30日(月)晴れ@徳島

 8時起床。新しい一週間は取材先の徳島でスタートした。ホテルの朝食は期待薄なので、身支度を整えてから徳島駅に向かう。朝からやっている飲食店を物色するも、ロッテリアの一択しかなかったので朝のセットメニューで朝食。9時22分発のうずしおに乗って、板野駅を目指す。移動中は、昨夜書き上げたFC今治のコラムをひたすらブラッシュアップ。板野に到着後、駅のベンチで続きの作業をして何とか10時に入稿する。

 タクシーに乗車して、徳島ヴォルティスのクラブハウス兼練習場に向かう。10分ほどの山道のドライブで目的地に到着。広報スタッフのYさんにご挨拶して、まずはホームタウン推進部の谷直和さんにインタビューする。もともと大塚製薬の営業マンだっただけに、非常に弁が立つ人で最初のインタビュイーとしては理想的であった。クラブハウスでの取材は1時間で終了。Yさんの車に乗せていただき、途中「柿谷曜一朗がよく通っていた」といううどん屋で昼食を摂る。

 昼食後、Yさんの車で鳴門市に移動。大塚潮騒荘という大塚製薬の福利厚生施設(といってもものすごく豪華!)にて、ヴォルティスの前身である大塚FCの部長をされていた小賀正條さんにインタビュー。元自衛隊のパイロットで、すでに80歳を過ぎておられるそうだが、とてもお元気な上に記憶も鮮明で、94年のJリーグ入りを断念した経緯について、いろいろと貴重なお話を伺うことができた。

 さらに鳴門市から徳島市に移動して、ヴォルティスのメインスポンサーのひとつである徳島新聞社へ。ここからクラブの営業推進部部長である福島義史さんも合流して、米田豊彦社長にお話を伺う。米田社長はヴォルティスがJクラブになる前年の04年9月からGMに就任。Jクラブになるための途方もない準備の様子についてお話いただいた。いずれ原稿に書くが、話の内容を一言で表すならば「壮絶」。いやあ、びっくりした(笑)。

 徳島新聞社での取材を終えて、Yさんに駅前まで送っていただく。17時にホテルに戻って、先週の日記を原稿にまとめて入稿。少し休んでから、19時に徳島の元サポーターKさんにお会いする。大塚製薬サッカー部時代の94年からチームを応援していて、旧JFL時代の貴重なお話や当時の新聞の切り抜きなども見せていただき、大変参考になった。今回の徳島取材は、本当に取材対象者に恵まれている。いい原稿が書けそうだ。

 Kさんとお別れしてから、ホテル近くのお店でひとり鍋セットを日本酒と共に。ホテルに戻り、もろもろ残りの作業を済ませてから午前1時に就寝。

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