JリーグにやってくるFC今治に気になる存在がいる(J論)

宇都宮徹壱ウェブマガジン

【無料公開】特別座談会「スタンド目線で語る20年前の歓喜」 サポーターはジョホールバルで何を見たのか?<1/2>

 ブラインドサッカーの元日本代表で、当WMの座談会にもご出演いただいた石井宏幸さんが10月2日の19時15分頃にお亡くなりになりました。謹んで石井さんのご冥福をお祈りすると共に、故人の肉声をより多くのサッカーファミリーにお伝えするべく、2年前の座談会を無料公開とさせていただきます。(2019年10月4日)

 あなたは1997年11月16日の日曜日、どこであの試合を見ていただろうか?

 その日、マレーシアはジョホールバルのラキン・スタジアムで、岡田武史監督率いる日本代表はイラン代表とのワールドカップ・アジア3位決定戦に臨んだ。結果はご存じのとおり、延長戦の末に岡野雅行のゴールデンゴールで日本が初のワールドカップ出場を果たし、列島は祝祭ムードに溢れた。早いもので、あれから今年で20年になる。

 かくいう私は、この試合を取材先の韓国のホテルでTV観戦していた。この年の3月、フリーランスの写真家となることを宣言していた私であったが、まだ日本代表を取材できる身分ではなく、さりとてジョホールバルでチケット観戦するようなサポーター気質にも欠けていた。その後、日本代表がワールドカップ出場を決める瞬間に、私は取材者としてたびたび立ち会うことになる。が、あのジョホールバルの現場にいなかったことについては、20年が経過した今でもひとつの心残りとなっている。

 今年は「ジョホールバルの歓喜」から20周年ということで、各メディアがさまざまな企画を進めていることだろう。当WMでは、あの瞬間を現地で迎えた選手やジャーナリストや有名サポーターではなく、あえて市井のサポーターたちに語り合ってもらうことを思い立った。というのもあの日、ラルキン・スタジアムで起こった出来事について、スタンド目線で語られた「言葉」というものは、ネット上を探してみても非常に限られているからだ。

 今回、お集まりいただいたのは、当時20代から40代だった5名の皆さん。向かって左から、成田宏紀さん、石井宏幸さん、住吉昭弘さん、山根恵理さん、そして大場理惠さん。簡単に皆さんのバックグラウンドを紹介しておこう。

 最年長の成田さんはアートのキュレーターで、名古屋グランパスのファン。石井さんはブラインドサッカーの元日本代表で、湘南ベルマーレのファン。住吉さんは編集プロダクションの経営者で、実はジョホールバルが初めてのサッカー観戦。山根さんは黎明期の読売ベレーザでプレーした経験を持つコピーライターで、FC東京ファン。大場さんはJクラブのグッズデザイナーで、サポートクラブは「ヒ・ミ・ツ」とのことである。

 この座談会の会場を提供していただいたのは、東京・信濃町にある南米系スポーツバーの『ティア・スサナ』。このお店の特徴は、オールドファンを思わず唸らせる内装に加えて、貴重な過去の中継映像が気軽に見られることだ。この日もフジテレビでOAされたジョホールバルの映像を流しながら、皆さんに20年前の思い出話を大いに語ってもらった。そんなわけで、現地に行った人もTV観戦していた人も、あるいは当時の記憶がほとんどない若い人も、最後までお付き合いいただければ幸いである。(収録:2017年10月22日@東京)

<目次>

*ジョホールバル行きを決断するまで

*シンガポールからの国境越えで一苦労

*キックオフまでの4時間をどう過ごしたか?

*記憶に焼き付いている城の同点ゴール

*決まった瞬間、速攻ダッシュで空港へ

*人生の転機になったジョホールバル体験

■ジョホールバル行きを決断するまで

――今日はよろしくお願いします。今回、お集まりいただいた皆さんのうち、成田さんと石井さんと住吉さんは現地で出会って、その後も20年間お付き合いが続いているそうですね?

成田 そうなんです。ほとんどみんな個別に1泊3日のツアーに申し込んで、それで現地で仲良くなったという感じですよね。僕自身は当時、会社勤めだったんですが、ジョホールバルが決まってから、止むに止まれず現地に行ったという感じでした。

石井 僕はその4年前のドーハからつながっているんですよ。試合後、ラモス瑠偉がピッチにしゃがみこんでいるところをオフト監督が手を差し伸ばしている、有名な写真があるじゃないですか。あれをずっと自分の部屋に飾っていました。97年当時はホテルで働いていましたが、無理やり休ませてもらって現地に行きました。その3年後、僕はまったく目が見えなくなるんですが、その前にジョホールバルのあの光景は、今でもはっきりと脳裏に残っています。

住吉 僕はここにいる皆さんと比べると異色で、実はジョホールバルが「初めて見たサッカーの試合」だったんですよね(笑)。

――え、そうなんですか?

住吉 僕もドーハから入ったクチなんですけど、特にサポートクラブがあるわけでもなく、それでも何となく日本代表は気になっていたんです。ちょうど今の会社を興して3年目で、雑誌の編プロだったんですけど「じゃ、日本代表を応援に行ってくるから」って社員に告げて、それでジョホールバルに向かったという感じでしたね。

――山根さんは、それまでも代表を追いかけていたようですね?

山根 そうですね。実は会社の友だちと、韓国でのアウエー戦にも行っているんですよ。ですから当然、ジョホールバルには行くものと思っていて、とりあえず「シンガポール3泊4日の旅」というツアーに申し込んだんです。試合のチケットはなかったんですが、行けば何とかなると思っていました(笑)。

――大場さんも、当時は会社勤めだったんですよね? ジョホールバル行きを決めたタイミングは、いつだったんでしょうか?

大場 試合が日曜日だったじゃないですか。私が決めたのは4日前の水曜日でした。昼休みに、名古屋で航空会社にめていた友人に電話したんです。彼女とは、前の年(96年)にクアラルンプールでのアトランタ五輪予選で知り合っていて、「航空券を何とかならない?」って聞いてみたら、名古屋から出る往復3万円のシンガポール行きがあると。それも(試合当日の)午後に着いて、試合後の夜中に現地を出る便ということで、これだったら仕事もそんなに休まなくといいと思ったんですね。

――それって、完全に弾丸(ツアー)ですよね?

大場 もちろん弾丸ですよ。私、岡野のゴールを見届けて、一目散にシンガポールの空港に戻って、さらに名古屋から新幹線に乗って、月曜日の午後には普通に出社していましたから(笑)。

成田 帰りの飛行機でスーツに着替えて、ネクタイ締めてそのまま会社行っている人って、いっぱいいましたよ。

――いやあ、私には絶対に無理ですね(苦笑)。それにしても山根さんは、会社の友だち2人とサッカーを見にいくとか、よく職場が許してくれましたね?

山根 会社の人たちも、私たち2人が行くのは当然だと思っていたし、むしろ「俺たちの分までしっかり頑張ってくれ」みたいな感じで送り出してくれましたよ。別に私たちが試合に出るわけでもないのに(笑)。

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